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風の名前 つながりで もう一つオススメの作品を紹介。

「精霊の守り人」という国内製のファンタジー小説。
これは15年ほど前に知り合いから薦められて買った本で、これまた
ずっと棚に飾られていたものだ。
数カ月前、この作品がアニメ化されていることに気付き、まずアニメ
から観た。次に原作を読んだ。

アニメ版は、原作の世界観を非常に大切に膨らませた大変優れた作品
に仕上がっている。世界観の映像化も優れていてほぼ非の打ち所がな
いが、何よりも人物が魅力的である。
手がけているのはプロダクションIG。アニメに詳しい人ならば、IGの
クオリティの高さに説明はいらないだろう。

主人公は、殺さずの誓いを立てた女用心棒、バルサ。
彼女はある事情から、7人の命を救うと心に決めて用心棒をしている。
非常に腕のたつ武人で、一振りの短槍を操る。

彼女はまったくの偶然から、ヨゴ国の王宮の第二王妃から第二皇子チ
ャグムの用心棒を引き受ける事となる。
第二皇子チャグムは命を狙われている為、バルサの保護の元、命がけ
の逃避行を重ねる。

10才ほどの、幼い少年の命を生涯守ると誓ったバルサの、凛々しさ、
清廉なる気高さ、竹を割ったような気性に触れると、腑抜けた心に喝
を入れられる気持ちになる。

そしてわずか10才ほどで母と別れ、王宮生活から逃亡者へと身を落
としたチャグム皇子が、懸命にその境遇を受け入れようとする様に胸
を打たれる。
しかも、チャグムは、その体内に水の精霊を宿しているという大きな
宿命を抱えている。
10才の心に逡巡する、自分の使命、その運命の苛酷さ。
父王に命を狙われ、母と別れ、宿した精霊の為に自らの命が危機にさ
らされる。

人間らしさとは何か、生きることとは何かを、血の通った描写で力強
く訴えかけてくる作品である。

アニメ版では、原作にはないエピソードも加えられており、作品をよ
り豊かに肉付けしている。

今、2度目の鑑賞中。
何度観ても、感動が薄れない、素晴らしい作品だ。
是非多くの人に観て欲しい。

アニメ版からでOK。
生きる勇気をもらえる。

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久しぶりに 読みごたえのある小説に出会った。

ハリーポッターを卒業した読者へ贈るー という帯が華々しい、
「風の名前 キングキラークロニクル」という三部作だ。

上中下の三部になっていて、文量も充分。
1年前に手に入れて、ずっと読む暇が無く、本棚の肥やしになっ
ていたものだ。

上巻の最初、1/4くらいまでは、正直読み進めるのがおっくう
な感じ。展開はもたつき、何かもってまわった感のある序文だ。
まるで、後から書き加えたかのよう。テンポ感が、それ以降の素
晴らしさとはまったく違っている。勢いがなく、素人くさい。

しかしそこさえ我慢して通り過ぎれば、いきなりその文は輝きを
放ち、魔法の世界へと連れ去られてしまう。これは作者が序文と
は別の人物なのではないかと疑いたくなるほどだ。

ファンタジー小説を読み慣れている人にも必ず満足の行く作品だ
と太鼓判を押したい。

内容は秘密だが、圧倒的な表現力が、上巻の序盤を終えた処から
いきなり出現する。それまでのもたつきが、理解出来ないほど、
そこからの物語のダイナミックな展開。
そして何よりも、文章の輝きも桁違いになる。

なまくらだった刀身が、魔法にかかってミスリル銀に変わり、光
り輝き闇を照らすかのように。

いろんな小説を読んできたけれど、ここまで人物の描写が巧みな
ものは見たことがない。人物の輪郭を描き出すその精度は緻密、
かつ極彩の色を放つがごとき華麗さ。

こんなに華やかな文章は初めて目にした。
そしてそれが嫌みではないのは、主人公の苦難に満ちた人生の重
みによる。

細切れの時間を縫うようにして、中巻、下巻へと一気に読み進め
ることが出来たのは、この作品の魅力があればこそ。
そうでなければ私にフィクションを読む時間があるはずもない。

私は、「初めて体験した」というものに強く反応を起こす。
これほど感銘を受ける文章には、これまで出会っていない。

この作品との出会いは、私の作家魂に明らかに火を付けてしまっ
た。書くという事に新しいインスパイアを与えてくれた、素晴ら
しい作品に、乾杯したい。
この作品には、重厚なフルボディの赤ワインが似合う。

ああ、誰かがこの作品を読んで、一緒に赤ワインを飲みながら語
り合ってくれないかな。
気長に待とう。

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些細な行き違いで 傷ついた。
夫の些細な言葉が たまたま私の心のすき間に飛び込んでしまった
という事故。夫が悪意で私を傷つけようとしたのではないことは
よく分かっているのに。

言葉だけが 細く鋭いガラス片のように心の奥にスッと刺さってし
まった。

何というか、空手とか柔道とか、そういう武術を知っている人が
人間の急所を知っていて、そこをトンと突いただけで相手を気絶
させてしまう技があると思うけれど、ちょうどそんな感じ。

たまたま、私の心のガードのすき間から細くて危険なものがスッ
と差し込まれてしまって、心の重要な機能を切ってしまったような。

本当に、相手に悪意がない事は解っているのに、
目を開けられず、口がきけず、ぐったりと動けなくなってしまった。
そのまま、丸一日、ベッドから起きられなかった。
まぶたを動かすことさえ苦痛で外界の全てを拒絶する為に信じら
れないほど昏々と眠り続けた。

こんな事はこれまでに2回くらいしかない。
7年に一度クラスの、珍しい事だ。

でも、その状態からの復帰は、あっさりと簡単だった。
以前は普通の生活に戻るまで10日はかかっていたけれど、今回は
丸一日で戻った。随分自分のケアが上手になったのかもしれない。

真っ暗で大きな穴に落ちて、そこから上がることは出来ない。
そんな時にはその中でただ眠り続ける。
そんな経験だ。そして本当に、私は眠り続ける。
こんな時だけは、時間もすべきことも何もかもが遠く小さくなって
私の視界に入ってこなくなる。

これは穴に落ちることで、休もうとしているのかもしれないと、少し
思わなくもない。

ああ、よく眠ったなあ。

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テレビ朝日から高IQ者に対するアンケートという依頼があり、その質問に答えていて気付いたこと。

私は、物事に時間をかけるということに、まったく慣れていない。

私に限らないと思うけれど、高IQ者は思考の回転速度が普通の人よりずっと速いので、ものごとの処理が早くなりがちだ。
だから、時間をかけて何かをする、という事が自然と少なくなるのだと思う。

今回、連休のまる3日間を大掃除に費やして、本当にしっかり時間をかけて
持ち物の整理整頓をしてみたのだけれど、そうするとこれまで自分には絶対
不可能なのじゃないかと思っていた「持ち物の全部をきちんと整理する」と
いう事が実現出来たのだった。

日頃だったら、休みの日には遊びに行きたくて、ぼーっと家にいるなんてせ
っかくの休日を無駄にしてしまったようで悲しくなってくるのだけど、今回
の休みは本当の本当に所持金がなかった。
だから出かける事はハナから諦めていた。
つまり、家で過ごすという覚悟がしっかり出来ていたのも、功を奏したと思う。

「大掃除して、家を居心地よい場所に改造する。そして連休が明けたあとに
も、快適に過ごし続けるのだ」
という目的が明確になった。
3日という、私にとって長い長い時間を、本気で掃除と整理整頓だけにつぎ
込むなんて、人生初の出来事だった。

そしてやってみて「意外と私にも、掃除が出来るんじゃないか」と目からウ
ロコの感覚があった。

あれあれ?私って、家事に向いてないと思ってたけど、本当はもしかして、
時間をかければ人並みにできるのかな?
という感じ。

私はいつも、想像の結果を、短時間で得ようとする。
思考の中の作業ならいくらでも高速化出来る。
だけども、掃除やものの整理のような、物理的、かつ肉体的に労力が発生す
ることは、そんなに高速に処理出来ることではないのだ。
手際の良い人がいる。整理の得意な人がいる。そういう人になら、おそろし
く高速な掃除ができるのではないかと思ってきた。だから私にもそれができ
ないといけないような気がしていた。

いいじゃないか。のんびり、数日かければ、いつかきっと終わる。
満足出来るゴールに、時間をかければきっとたどり着ける。
そう信じて、ゆっくり、ゆっくり、歩き続けるという事が、やっと出来始め
ていると思う。

40代にして、私は、ちゃんと成長してるんだなあ。

人生は素晴らしい。自分の道を、ゆっくり、納得しながら、進んでいこう。
呼吸して。胸いっぱいに、この素敵な地球の魂を吸い込んで。
お腹の深い底には宇宙がつながっている。
胸に吸い込んだ大気と、お腹の底の泉が私の中にある。

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部屋の散らかりが忍耐の限界を超えました。

夫と子供が使っている部屋は、二人に管理を任せて、すこしづつでも
片づけが出来るようになってもらおうと、出来るだけ手を出さずに居
たのだけれど。

「もーーーこんな部屋でくつろげるカア!」と叫び
「大掃除するぞっ!」と大号令。
ベッドもタンスも、テレビ収納のリビングボードも動かすという大イ
ベントに。

押し入れの中身も全部出して、子供の持ち物もおもちゃもすべて整理
の対象に。

2日がかりで、模様替え完了です。はあはあ。

足を踏み入れるのも嫌だった部屋が、のんびりお茶を楽しめるリビン
グ&子供スペースに生まれ変わりました。
お客さんが一人でも来る日には、家の中身を出す訳にはいかないので、
こういうまとまった数日の休みでないと思いきった掃除ができないの
です。

どうせレジャーに回すお金はないし、家を快適に。
いい休みの過ごし方をしました。

家は、安全と安心の基地です。
自分のありようを表すのが家。
本当にそうだなあと思います。
このごろ、ちょっと荒れてたもん。

でもまた、リセットリセット。
ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています。
と、ホ・オポノポノ(ネットで検索されたし)を実践しながら、
今日からまた、循環の要に入る準備よし、です。

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夢を見た。

祖父が、私と一緒に暮らしている夢だった。
寝たきりになっていたけれど、祖父は私と同じ部屋で寝ていて、私は祖父の介護をしている生活だった。

祖父の、すこしヒゲがジョリジョリする頬に触れた。
「おじいちゃん 私がずっとお世話するよ。ぜったい、死ぬまでここに居てね」
祖父の顔を抱きしめた。ほおずりした。懐かしい、祖父そのものだった。


祖父は、私が13才の時に、脳溢血で亡くなった。
幼いときから、私を膝の上に乗せ、一緒に相撲中継を観たり、新聞を読んだりしてくれた大事な人だった。私が、小学校1年生になる頃には新聞の漢字がほとんどすべて読めていたのは、祖父が私のおう盛な知識欲に応えてくれたおかげだった。
忘れもしない、私の13才の誕生日の深夜に、自宅で倒れて、半身不随となり、麻痺で一言も口が利けないままその一ヶ月後に亡くなった。

倒れる直前、祖父は、一度自宅へ帰ろうとしたのをわざわざ引き返し、私に声をかけた。祖父がもう帰ったと思っていた私は驚いて「帰ったんじゃなかったと?」と言った。祖父は黙って、私に千円を渡した。私は千円を見て「え?なんで?何か買うと?」と聞いた。祖父は「お前にたい。誕生日やろう」と言った。そして、来た道を引き返して、自宅へと戻っていった。祖父の背中に、「おじいちゃんありがとう」と言った。祖父が、私の誕生日を覚えて居てくれたことがとても嬉しかった。
それが祖父の声を聞いた最後の言葉だった。

私は、今でもその時の千円札を持っている。


その最後の病床の祖父が、今の私と一緒に暮らしてくれていて、介護をさせてもらえるという、最高に幸せな夢だった。半身が麻痺していても、祖父の思考は正常な機能を保っていた為、口をきけないという状態は本当に堪え難かっただろう。亡くなるまでの1ヶ月間の最後の日々に、語りたいことが山ほどあっただろうに、本当にそれが悔しかった。私は毎日のように祖父の病床に行き、短い時間を過ごした。話せない祖父は黙って私の話をきき、聡明な、そして悲しそうな目で私を見つめた。
13才の私には、何もしてあげられなかった。

その祖父が、今の42才の私の元にいてくれた。私は本当に心から喜んで、祖父の世話をしようと思った。
祖父がすこしでも喜ぶ事をしてあげたいと思った。

夢だったけれど、本当に幸せな生活だった。
おじいちゃん、来てくれてありがとう。
大好きだよ。おじいちゃんがくれた愛情は絶対、一生忘れない。

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「生きることは簡単にはならない」

とクリスが言ってたな。
人生が苦しくて苦しくて、何とか楽にならないのかと思っている人がこの言葉を聞くと、きっとショックで生きる気力がなくなってしまうだろう。だから私から、この言葉を補足しておきたい。

生きることは、簡単になっていく。ある程度までは。
苦しくてたまらない人が、割とお気楽に生きていけるようになる程度まで、簡単になっていく。

だけど、それ以上簡単にはならない。
人生は複雑で、困難もたくさんあるのだ。
楽で、簡単で、楽しいことだけの人生はどうやっても手に入ることはない。
だから、今ある難しさが、あなたが作り出したものでなければ、もともとやってくるべき難しさであり、それは頑張って自分の力で乗り越えるべきものなのだ。

「自分で乗り越えろって?ああ、とても手に負えないよ」
と嘆きたくなったら、あなたは多分、もともとあるもの以上の困難を、自分で作り出している。

大丈夫、自分で作る分が無くなれば、ほとんど手に負えないほどの困難はなくなるから。

生きることそのものが苦しくて困難になっている人は、もともとある難しさに加えて、自分でさらに何倍もの困難を作り出してしまっているので、抱えきれないのだ。かつて私もそうだった。

大丈夫。
今、もし困難を抱えているなら、それがもともとの分なのか、それとも自分で増やしている分なのか、よく調べてみて欲しい。自分で作っている分なら、それをすぐにやめる手だてを打とう。
自分でやめられないなら、すぐに誰かに相談しよう。手伝ってもらおう。

大丈夫。
人生は、簡単にはならないけど、たった独りぼっちで乗り越えなければならないものでもないのだから。

いつも、側にいる。手伝うから。
私はその為に、生かされている。

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私にとって 人生の道しるべの役割をして下さっていた方が
9日に亡くなったという知らせが届いた。

その方と直接会ってお話したのはたった一度だけだったけれど
それ以来 私にとってその方は 自分を映す鏡だった。

彼女の綴る美しい旋律のような言葉は 私の思いを代弁していたし
彼女が体験する事はいつもそのほんの半歩、または1歩あとに、
私に起きる出来事だった。

彼女が病に倒れたというニュースを聞いたとき
ちょうど私は 日々無理を重ねて自分が病に倒れる予感を感じて
いた処だった。

彼女が奇跡的に九死に一生を得たと聞いて
私は 自分がそのような重篤な病に倒れないよう真剣に自分の人生
を調整した。まだ幼い娘を、そして社会参加出来ない障害者の夫を
残して倒れる訳にはいかない。

彼女のHPには次のセミナーやイベントの告知など、活動を再開した
と受け取れる情報があり 私は本当に彼女が病を克服しただろう事
を祈る気持ちで見守ってきた。
魂のレベルで姉のように思っていた人だった。

しかし突然に 亡くなってしまった。
その知らせを受け取って 胸の中の奥深い処を冷たい手に握りつぶ
されてしまう痛みを感じた。そのショック、その痛みと同時に私は
自分が彼女の死を予感していた事を悟った。

そして、誤解を恐れず言うなら これは彼女の存在が最後に私に与
えたメッセージだと感じた。
私は半歩先を進む彼女の苦しみを見て 何度も私自身の人生を調整
してきた。そして、彼女の死を通じて おそらく私自身の急死を回
避した可能性が高い。


彼女のような聡明な魂が もうこの世に居ないなんて。
いつも私の行く先を照らしてくれていた あの光は失われてしまった。

彼女も私も どれほど多くの人から愛されようと 真の理解者を得
ることは難しい。

彼女にも最大の理解者である夫が 最後まで付き添っていたことを
思うと私は涙にくれながらも ほんの少しだけ慰められる。

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坂本がいろいろと私の精神状態を調整することに協力してくれるお陰で 再調整は7割方完了。

かなりすっきりしています。
大の苦手の、役所への届出などの事務作業も、もん絶し不眠に陥ったのち、順調にクリアして負担もかなり消化済で楽になっています。

やはり、辛くて嫌いな作業を終わらせていく事が出来ると、それなりに「乗り越えた」という爽快感があります。眺めの良い、小高い場所に登れた感覚。風が吹き渡り、超えてきた険しい道を見下ろす感覚。終わってしまえば「こんな事くらいやれば何でもないのに」と思うご都合主義な自分の感覚。

坂本は 阿修羅展で面白いことを言いました。
私が、四天王像の真ん中に立って、その像に守られている感覚で、ほーーっと、堪能している時。

「真理や大きなものを目指して進んでいる存在は 自分で自分を守ることには力を使わない。だからこそ、その存在を守る存在が配置されるんだ」

私はもしかしたら人よりも少し孤独な存在なのかも知れないけれど、そんな私には守り手が配置されているのかも知れない、と、すうっと何かが心に受け入れられました。
坂本は その守り手の一人なのかも知れないと思います。

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あなたがやりたいことは何なのかと問われている。

 やりたい事の為ならどんな犠牲も払えるはず

 やりたい事を実現する為の努力なら喜んで出来るはず

 なぜ自分のやりたい事なのにもっとしっかり出来ないのか

そう問われている。

たぶんそれは「私」という個のやりたい事ではないのだ。


人々の苦しみに触れ 私は動き出す。
その時「私」の個人的な好みや喜びというようなちっぽけな軸は私の中から消し飛んでいる。

「必要があるから動く」だけなのだ。
「救済を必要とする人々がいるから動く」だけの歯車になる。
私の個人的な喜びを満たす仕事なら 別にいくらでもあるのかも知れない。
個人的な喜びを満たそうとして何かをやっているとしたら 私はいくらでも努力し犠牲を覚悟し腹をくくっているのではないだろうか。

私は 自分の望みで動いていない。

「だからあなたは共に働く人に喜びというご褒美を与えないのだ」と坂本は言う。
自分が歯車なので他の人を歯車同様に扱うのだと。

坂本は私のことを同じ人間ではないという。

「普通の人は誰でも喜びというご褒美をもらいながらでなければ生きられないし動けない。それなのにあなたは無機的にただ目的の為だけに動き続ける。他の人はあなたと喜びを共有し、エネルギーを与え合いながらでないと出来ないのに、あなたが余りにもそれを他の人としないのであなたの周囲に集まった人は必ず離れていくのだ。あなたは普通の人と違うもので動いている。だから誰にも理解されない。」

私個人は 一緒にやろうとしてくれる人や力を貸してくれようとしている人に対して感謝を失ったことは一度もない。 けれどそれを人にまったく感じさせない存在になってしまうのだそうだ。何故なら私自身が感謝される事を一切必要としない歯車になっているから。

何かの使命で動いている時、私という個人は失われる。
そして周囲の人がショックを受けるほど冷たい人間に見えるのだそうだ。

使命を果たすことだけで全身染まっているので 使命に必要と思えない事はなかなか受け付けない。目の前の人が人間で、傷つく存在だということさえも、受け付けないのだろう。

それでいて、個人の自分はその使命を果たす苦しさに青色吐息だ。
普通の人が幸福の為に取り入れるバランス「ご褒美」を一切もらわないからだ。
まれに心を許す人が現れると、その苦しさを分かってもらいたいと願ってしまう。

個人の私が心を許した人から与えてもらいたいと願う言葉があるとすればただ「精一杯やってるんだね」「苦しいんだね」の一言だ。その一言があれば個人の私は救われる。

本当に申し訳ない事だけれど、私が心を許してしまった人のほとんどが、私に呆れ、疲れ、傷ついて去っていく。彼らは精一杯、言いたいことを我慢し、堪えてくれる。それが彼らの私に対する精一杯の優しさであり思いやりだからだ。しかしついに離れるその時、メッセージを残していく。
「何故そんなに愚痴をいうのか」「みんなはあなたがやりたいというのでそれに動かされて集まっているのだ」「今やっているのはあなたが好きでやっているのではないのか」「何故やりたいことの為に堪えられないのか」「やりたい事じゃないならやめればいいのじゃないか」

そう。ほとんどの人が、私のあまりの整合性の無さに、「理解不能」という反応を示す。

「やりたいのか、やりたくないのか」
「やるのか、やらないのかの決断が出来ていないのだ。お前は覚悟が出来ていないのだ」
と迫る声。

「使命」を帯びて生きることを知らない人々の言葉だと思う。
そのようなレベルの話ではないことは、語っても理解してはもらえない。
多くの人は使命につかまったりしないのだから無理もない。
大多数の人には個人の幸せを追及して生きられる自由がある。
使命に選ばれた人には、それはないのだから。


例えばマザーテレサが貧しく病の人々を世話し続けた事。
それを「彼女個人がやりたくてやる覚悟でやったので、彼女は素晴らしい人だ。普通の人間にはそんな大変な事は覚悟できないから」と多くの人は感じているのかも知れない。私はそうは思わない。彼女の口から語られる言葉は「使命」に動かされるべく、選ばれた人だという事を示していると私は思う。彼女個人の思いを遥かに超えたものの意志によって彼女は歯車になっている。

あえて言えば、歯車になっている人は歯車である事を受け入れる素質があるのみ、という事だ。
歯車になっている人に「その使命を果たそうとしている、という事はあなたはやりたくてやっているんでしょう?」と問うと、その人自身は個人として答えるべき言葉をすべて失う。ただ「そうです」としか言えなくなるのだ。それが歯車だ。その時、その人は個人としての自分の言葉を失い歯車としての答えしか話せないのだ。使命が個人の言葉を奪い、ただ「そうだ」と答えさせる。

私個人の特殊性はこうした使命の中に未だ同化していないという点だ。だからこんなにもはっきりと個人としての苦しみと、歯車としての無機質なものが、別々に交互に顔を出す。

これを間近で見た人が私を狂人と思うのは無理もない。

NPOはやりたいことなんですか?
と問われれば私は YESとしか答えられない。


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