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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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夢を見た。

祖父が、私と一緒に暮らしている夢だった。
寝たきりになっていたけれど、祖父は私と同じ部屋で寝ていて、私は祖父の介護をしている生活だった。

祖父の、すこしヒゲがジョリジョリする頬に触れた。
「おじいちゃん 私がずっとお世話するよ。ぜったい、死ぬまでここに居てね」
祖父の顔を抱きしめた。ほおずりした。懐かしい、祖父そのものだった。


祖父は、私が13才の時に、脳溢血で亡くなった。
幼いときから、私を膝の上に乗せ、一緒に相撲中継を観たり、新聞を読んだりしてくれた大事な人だった。私が、小学校1年生になる頃には新聞の漢字がほとんどすべて読めていたのは、祖父が私のおう盛な知識欲に応えてくれたおかげだった。
忘れもしない、私の13才の誕生日の深夜に、自宅で倒れて、半身不随となり、麻痺で一言も口が利けないままその一ヶ月後に亡くなった。

倒れる直前、祖父は、一度自宅へ帰ろうとしたのをわざわざ引き返し、私に声をかけた。祖父がもう帰ったと思っていた私は驚いて「帰ったんじゃなかったと?」と言った。祖父は黙って、私に千円を渡した。私は千円を見て「え?なんで?何か買うと?」と聞いた。祖父は「お前にたい。誕生日やろう」と言った。そして、来た道を引き返して、自宅へと戻っていった。祖父の背中に、「おじいちゃんありがとう」と言った。祖父が、私の誕生日を覚えて居てくれたことがとても嬉しかった。
それが祖父の声を聞いた最後の言葉だった。

私は、今でもその時の千円札を持っている。


その最後の病床の祖父が、今の私と一緒に暮らしてくれていて、介護をさせてもらえるという、最高に幸せな夢だった。半身が麻痺していても、祖父の思考は正常な機能を保っていた為、口をきけないという状態は本当に堪え難かっただろう。亡くなるまでの1ヶ月間の最後の日々に、語りたいことが山ほどあっただろうに、本当にそれが悔しかった。私は毎日のように祖父の病床に行き、短い時間を過ごした。話せない祖父は黙って私の話をきき、聡明な、そして悲しそうな目で私を見つめた。
13才の私には、何もしてあげられなかった。

その祖父が、今の42才の私の元にいてくれた。私は本当に心から喜んで、祖父の世話をしようと思った。
祖父がすこしでも喜ぶ事をしてあげたいと思った。

夢だったけれど、本当に幸せな生活だった。
おじいちゃん、来てくれてありがとう。
大好きだよ。おじいちゃんがくれた愛情は絶対、一生忘れない。

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