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何事もなかったかのように 日常を送っています。
むしろ ももが風になって去ってから いろんなことが
すかすかして 軽くなったような感じです。

娘は何も心配することなく林間学校に元気に出発し
私も 何も心配なく出かけることができています。

いつもいつも私のあとを追って 家の中でくっつき虫だ
った甘えん坊のももが 足もとにいない何とも言えない
すかすか感もありながら それでも 生きている私たち
は歩みを止めることはできず 仕事に行き 事務手続き
のために出かけ 少しづつ 心も社会復帰しています。


ももの死から12日過ぎて 初めて ももに対して感じ
ていることを言葉にして夫に話しました。
娘が林間学校に出かけているので この話題にやっと触
れることが出来たのです。話した事はこのブログにすで
に書いたことと同じです。

ももは可哀相だったよね。
あんなに苦しんで、本当に可哀相に。

そう言葉で、口から音が出ると、やっと涙が素直に溢れ
てきて泣くことが出来ました。
やっぱり書くだけでは心の浄化は進まないのですね。
言葉に出し、それを自分の耳で聞き、心がそれに応じて
反応し 涙でも悲しみを語って。そうしてやっと、心の
傷に手を触れて手当てをすることが出来ているのです。

ももが苦しんだという事実、そのシーンが私を深く深く
傷つけているのです。
今この瞬間、ももはもう苦しくないし 12日前にひど
く苦しんだ事さえも、まったくこだわったりしていない
のに 私の心だけがあの瞬間、傷を負った瞬間に立ち止
まっているのです。

愛するものが苦しむと それだけで私たちの心は傷を負
うことがあるのですね。

でも、こうして話して、涙を流し、あの瞬間に立ち止ま
ろうとする心に触れる事で私はちゃんと元気や勇気を取
り戻している気がします。
むしろ、生きているものは歩みを止めることができない
のだという事実を、鮮明に感じています。

立ち止まることができないのなら
どこかに進むほかありません。

そして どうせ進んでいくのなら
自分自身の命が喜び そして 私の人生を通り過ぎてい
く全ての人にとっても喜びとなるような そんな生き方
をしたい。

ももの死のおかげで 私はまた どこかに向けて出発す
るようです。
自分のしたいことは何か よく感じて 素直に
そして 批判を恐れず 一歩づつ歩いてみます。


拍手[3回]

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またたく間に 初七日をすぎて
ももが居ない毎日が 何事もなく通り過ぎています。

なんとなくだるくて 夫と娘だけで買い物に行ってもらい
家に一人で残ってみて 改めてももが居ないことを深く実感しました。

ももが死んだとき、娘が遺体にすがって、最初に言った言葉。
「もう絶対 お留守番は嫌だ」

これまで、数え切れないほど、幼い娘を留守番させて仕事に出かけました。
それに彼女がかろうじて耐えられたのは、ももやチャムという家族が一緒
に居たから。娘はももが居なくなった家に一人残されることの寂しさを
瞬間的に確信したのでしょう。

私も今日、一人でお留守番してみて、本当に娘の寂しさがわかった気が
しました。ももはいつも人の側に寝そべっていて、目を泳がせれば必ず
ももの姿が視界に入っていたのです。玄関に誰かがくれば一番先に気づい
て警戒してくれます。娘にとって大きな犬の姉妹は、頼もしかったでしょう。


明日は講義です。いつもなら娘はお留守番を言い渡されるところですが
明日は連れて行こうと思います。

この寂しさに馴れるよう仕向けるのか、それとも新しい動物を迎えるのか
思案しています。娘はまだかなり不安定で 夜になるとももの匂いが残っ
ている毛布に顔をうずめて、静かに泣いています。
彼女にとって姉妹が亡くなったのとおなじことですから 無理もないこと
です。
こんな大きな悲しみの渦中にあるときには この悲しみが癒える未来など
感覚として信じられないものですが 時が少しづつ少しづつ 痛みを和ら
げてくれるはず。

ももの写真を部屋に飾ってあげなくては、と思っています。
でも 何も手につかず 部屋の片づけも整理もほったらかしです。
看病疲れなのか夏バテなのか 家族全員 体調が思わしくなくしょんぼり
していますが 今はすべきことは出来るだけ放り出して、眠って休んで
心の傷がするに任せるのが一番なのかも知れません。

そうしていれば 元気を絞り出して作らなくても 自然と出てくるはず
だから。体と心のプロセスも 自然のままに任せて ゆったりと過ごして
みます。

NHKで うまれつき心臓が悪く、移植手術を受けたけれど寿命が短いと
宣告された18才の女の子のドキュメンタリーを放送していました。
彼女は延命治療を拒否し、家で自然に死に行くことを選択しました。
娘の選択を尊重しながらも、一日でも長く生きて欲しいから治療を受けて
欲しいと懇願する両親のやりとりがありました。自分らしく生きて死にた
いという娘さんの意志は固く、まさに自然な死を迎えました。意識もうろ
うとする彼女を父親が抱いて、喘ぎつつ死にゆく様はももの最期を思い出
させて、涙が止まりませんでした。

本当に医療を介在させずに死んでいくことは 人間も動物も同じ、自然な
命のプロセスなのだと感じます。けれど医療行為という、人間になら出来
ることがあると思うと、それをしない選択の上での死というものは、本人
にも家族にも、何ともいえない壮絶な勇気が必要で、呼吸が苦しくなって
怖いという彼女の言葉もそれを物語っていました。

もももきっと、苦しくて苦しくて、怖かったと思います。
だけどその瞬間の事だけを見ず、大きな生命活動の流れ、自然の仕組みの
中でそれを見れば、死の瞬間というのはプロセスのひとつに過ぎないのだ
とも思えてきます。

生まれるときと死ぬとき。
それは私たちすべての命にとって試練のときです。
そこをどのように駆け抜けるのか、それを選択できるのは人間だけです。

ももはその試練をあまりにもありのまま自然に受け入れ、苦しいことは苦
しいままに、怖いことは怖いままに、瞬間瞬間を生き抜いて、走り抜けて
逝きました。あまりに天晴れ。
もものようにすることは 大変な勇気が必要です。
でも ももがお手本を見せてくれたのだから 私はもものあとをなぞるだ
けだと 何となく、勇気が出るのです。

生きて 生きて 生きて 日々をかみしめる。
今は 今この瞬間だけしかないのだから。

いつでも 今に帰ること。ゲシュタルトの基本です。

拍手[2回]

すみません、読む価値のあることは書けません。
ただ自分の中を整理するためにブログを書いています。


自分の調子が悪いのかどうか よくわかりません。
落ち込んでいるという感じではないのですけど
空虚感? 喪失感? 挫折感? 
ピンとこない。
…どれも違うような気がします。

頭では「子供と同じように思っている家族の死」は
深いダメージになっていても当然だと分かっています。

だけど感覚で 自分のことがあまりよく調べられないのです。
今できるのは「よくわからないことがわかっている」というくらいです。
感覚がとても鈍くて まるでレーダーが壊れてしまったよう。
目をつぶって歩いているみたいな感じです。

ももが生きていた頃は心配で毎朝、明け方に起きていました。
ももは私が起きるとすぐに目を覚ましてしっぽを振ってくれました。
だから明け方に起きてもももの世話という「やれること」があり
喜んでくれるももがいて、私が寂しいことなんて何もなかったのです。

今は心配だからではなくよく眠れなくて明け方に起きています。

私は普段から朝型の生活スタイルなので明け方に起きても
別に何も困らないし嫌ではないのですけど
眠れていない感じはやはり少しきついかな。
夜でも昼でも、3時間くらいで必ず目が覚めてしまいます。

まだまだ暗い明け方に目がさめて
もう少し眠ろうとしても眠れないときには 本を読みます。
するともものことを思い出して悲しくなったり辛くなったりしないからです。
本やマンガは、現実から逃げ出したいときには手ごろな手段ですね。

何かしているときに ぼーっとももは私の飲ませた薬のせいで
死んだのではないかと考えてしまいます。

治してやりたい一心でも 実際には到底治すことのできない
病気だったのですから 何をどう考えても仕方のないことなのですが
一日に何度も頭に浮かぶのは
私は結局ももを余計に苦しめたのではないかということです。

そんな考えが間違っているのは分かっています。
でも ももが苦しんだという事実が 私の心を深く傷つけているのです。
ももが死んで 居なくなったことよりも 苦しんだことで
私はとても傷ついています。

自分の心の傷がどの程度なのか さっぱりわかりません。
家族が死んだのだから 無傷なはずはないですが
それでも 時間をかけて 心は少しづつ傷を治し
ももの死の全体を 受け入れていくはずです。

だって 私は生きているのだから。
命は 変化し続けます。
成長をやめたりはしません。

ももの気配が どんどん薄れています。
明日は 初七日。
転生へ向けて大きな一歩。
やっぱりももは 私の先輩だなあ。
いろんな経験をさせてくれます。

よくわからない自分自身と付き合う方法も
以前よりずっと上手になりました。

ありがとう、チャム。
ありがとう、もも。

拍手[2回]

16日 早朝から家族全員で起きて
ももの遺体を車に乗せて家を出発しました。

最初にももが大好きだった西公園で朝陽を浴びさせてあげました。

そのまま、ももが好きだった場所を何ヶ所か巡り、
糸島半島にある動物の火葬場に到着。

ここは4年前にチャムを火葬してもらった処です。
お盆だし、チャムも迎えに来てくれているだろうから同じ場所で
火葬にしてもらうことにしました。

午前中、荼毘に付し、ももは文字通り風になりました。
火葬する煙突からももが煙や蒸気になって登っていく姿を
見送りました。

仏教では医学的な死の定義とは別に 死のプロセスに定義が
あり、魂が体を離れるのに時間が必要だとしています。
そのため、日本ではすぐに燃やさず通夜をして少なくとも
一日は遺体を安置します。もちろん宗教的な意味あいだけで
はなく、人間の感情としても残された遺族がすぐには故人の
遺体を処分できないという事も理由でしょうが、仏教では輪
廻転生が前提なので死ぬということは次の転生の準備を含みます。

チベット仏教では普通の人で3日、仏教の修行者だった場合
にはもっと長い期間、遺体を安置します。
初七日や四十九日は魂が次の命へ転生するための区切りとさ
れています。

死のプロセスは、次の転生に大きな影響があるとされている
ので仏教徒は死者(正確には死に際している最中のもの)の
邪魔をしないよう、振る舞います。
体の機能が止まった後もまだ魂の死のプロセスは重要なステ
ップにあるため、その時に周りで泣きわめいたり、ケンカを
した りすると悪い影響があると言われています。
出来るだけ穏やかで、平和で暖かい雰囲気を守り、死のプロ
セスが出来るだけ良い結果へつながるよう、祈り過ごします。

本来、喪に服すというのはそういうプロセスの中にあるとい
う訳です。

このように死のプロセスに参加すると、その人(見守り手)
と死者はさらに深い縁ができ、次の転生でもまた会える可能
性が高いと言われています。

まだ初七日を迎えていませんので、ももはここら辺りを風に
なって自由にうろついています。
ももがよい転生先に落ち着けるよう、出来ればまた会えるよ
う、私たち家族は風になったももに語りかけ、静かに泣いて、
もものことを思い出して笑って穏やかに過ごしています。


何よりも あの本当に本当に辛かった苦しみのすべてから
ももが解放されたことに安心し 最期まで頑張ったももを
心から誇りに思います。

病気発覚から三ヶ月ちょっとでしたが、闘病期間はずっと
痛みと苦しみに満ちていて、本当によくぞその自分の状態
を受け入れ続けたものだと、動物の生き様の天晴れさには
心から敬意を感じます。人間なら泣いたり喚いたり自分を
哀れんだりと、余計に苦しみをつくり出したことでしょう。

見守る側として 癌という病気の恐ろしさをまざまざと思
い知らされた日々 でした。

だれにも文句を言わず、泣き言も言わず、ただ黙々と日々
を生き続ける事に誠実だったももを、本当に心から誇りに
思います。

もものように精一杯生き、立派に逝きたいものだと
未熟な人間の一人として 心に刻みました。

命はいつも立ち止まらず 輝いて過ぎ去っていくものですね。
会えた命はいつでも 奇跡のような確率のご縁で
ほんの一瞬 共にいられたに過ぎないのです。

だからこそ すべての命との一期一会の出会いは
本当に愛おしいもの。

私を知っているみなさん一人ひとりが
私にとって奇跡のような稀なご縁で 出会った一人ひとり
なのですね。  

風になったももが私たち家族を包んでいます。
家の中いっぱいに、ももを感じられます。

皆さんの 健康と幸せと長寿を 心から願います。

拍手[6回]

8月14日午前3時過ぎ

ももは最期まで頑張って 力尽きました。
死のプロセスとしては かなり上級レベルだったと思います。

今 安らかに眠っているだけのように見えるももを
ようやく抱きしめることができています。

最期のときには闘っているももの邪魔になるから
抱きしめてやることが出来ませんでした。
ももの呼吸が止まり意識を失った瞬間に抱き留め
そのまま心臓が止まるまで抱きしめていました。

ももは一人で逝きました。
廊下に、通い馴れた散歩道に、ももが元気に歩いていた姿が
あまりにもまざまざと見えてしまい 参っています。

16日に荼毘に付す予定です。

みなさん 応援ありがとうございました。
ももを褒めてあげて下さい。


拍手[5回]

ももは一昨日から ぱったりと食べ物を口にしなくなりました。
口元に運んでやると 一粒づつ食べていたのに
一昨日、昨日と、目に見えて食べなくなり
今日はもうまったく一口も食べようとしません。

実は数日前から急激に呼吸が苦しそうになりました。
おそらく一番恐れていた、癌の肺転移です。

検査すれば肺転移であることが明らかにできますが
犬に施す肺ガンの治療などなく ただ病気の状態がわかるだけの検査に意味を感じません。

はっきりとわかるのは もう数日しか持たないだろうということ。
今晩にもぱったりと死んでいるかも知れないし、明日急に死ぬかも知れません。

これまで何度も、もうだめかと思う局面を乗り越えて頑張って生きてきました。
でも今回は本当に最期を迎えている感じがします。

娘は、ももと最期のお別れをして、阿蘇に行きました。
悩みに悩んでのことですが、してやれることがもう何もないことは何ヶ月も看病してきた家族にはよく分かっています。娘は、戻るときにはももがもう死んでしまっていることを覚悟して、旅立っていきました。阿蘇に行こうかそれともキャンセルしようか迷っていた娘に、「ももは最期までパパとママが見守っているから、大丈夫だよ。ももは絶対に寂しくなんかない。ももはあなたが居ないことを悲しんだりしないから大丈夫」と言ってあげると、娘は阿蘇にいく決意をしたのでした。
娘は、娘の道を進んでいったのです。

娘は、これからますます苦しむももを見るのが怖かったのかも知れません。
私だって怖いのだから、無理もありません。
それでも、娘の選択は彼女にとって正しいと私は確信しています。


速い呼吸で、いっときも休まらず、眠れず、ももは最期の時を迎えてそれでも頑張っています。
思えば、生まれてくるとき、母犬の胎内から出てくるとき、きっと苦しかったと思います。
生まれてくるときにも頑張り、そして死んでいくときにも頑張って、命はこの世界を通りすぎて逝きます。
これはどの命においても同じことで、私もいずれ必ず同じプロセスを辿ります。

生まれてくるとき、一緒に産み出すために頑張ってくれた母犬がいて、死ぬときには一緒に見守る母代わりの私が居れば、ももは幸せなのかも知れません。

今、私は泣くよりも まるで産婆さんのように、ももを励まし死のプロセスに参加しています。
「頑張ってるね!えらいねぇ。そうそう、上手に出来ているよ。よしよし。大丈夫だよ」
出来るだけ笑顔で、ももにやさしく声を掛けています。
産婆さんが痛む腰をさすってくれるように 励ましの気持ちを込めてももをさすります。

ももはももの命の道を進み 私は私の命の道を進んでいます。
その道はいっときの間 寄り添い合い、一緒に絡み合っていましたが
今それがほどけ それぞれの道に分かれようとしています。

ありがとうもも。
勇気溢れる生きる姿を。
最期まであなたを見習おう。

動物たちは いつも私の人生の師匠です。

命はやってきて そして去るもの。
だからいつも どんなときにも そこにあるだけで輝いていると 私は感じるのです。

拍手[4回]

うちの末娘、もも(犬ラブラドール10歳)は
5月に乳がん末期と宣告され、余命は7月末と言われていましたが
そのタイムリミットを乗り越えました。

ご飯を自力では食べなくなってもう一月経つのですが、
ドッグフードを少量づつ口元に運んで食べさせると食べるので
そのようなやり方で従来の半分量に食事量が減りました。
その状態で2週間ほどで、痩せも止まり、維持の状態が続いています。

動物が自力でご飯を食べなくなったとき、
口元に食事を運んで食べさせるのが正しい行為なのか、
本当に悩みます。

実際、それをしなければ今すでに、餓死の状態で死んでいるはずなのです。
餓死で死ぬことが、癌を治せないと判断した体(命)の選択なのかも知れず。

だって、このまま癌が進行すれば、肺転移はまず避けられず、大変な呼吸困
難で苦しんで死ぬのです。その前に、命は自然に細って消えていこうとして
いるのかもしれない、とも思えるんです。

でもね。
食べてくれるんですよ。
数粒づつを、「ありがとね」と言いながら。

できることがほとんどない中、
食事を食べてくれることが、どれだけ私達家族の心を救っていることか。
食べてくれるので、体力もまだ維持されています。
病状も悪化の一途というよりは、ずっと現状維持の状態です。

そして、痩せたものの、癌との闘いをあきらめたりはせず、体はまだまだ、
頑張っています。脇の腫瘍は大きさが1/3にまで縮小しました。
ただお腹の皮膚が大きな範囲で破れ、そこからリンパ液が常に出続けてい
ます。その傷が非常に痛いので、ほとんど動きません。

じりじりと、癌に負けていっているのか、それとも持ちこたえ、均衡を破
って癌を押さえ込めるのか、そのギリギリのバランスの上で、一粒、一粒、
フードを食べてくれているような、そんな感じです。


痛み止めさえ効いていれば、目はまだ、活き活きと、輝いています。
調子の悪いとき、いいとき、日によって違ってハラハラしますが、それで
も尻尾を振って、立ち上がり、私の帰りを迎えてくれています。


拍手[2回]

取り付けてもう10年。
まあ、確かにエアコンの買い替え時期はだいたい10年くらいだ
といわれていますから、冷えなくなってくるのもわかります。

そこで、取りつぶされる事になった、別宅から、一番高級だった
エアコンを一台、取り外して持ってきました。
そして、家族が一番長く過ごすリビングのエアコンと取り換える…
計画だったのですが…

取り付けの業者のお兄さんが、やってしまいました。
脚立の上に、エアコンを不安定に載せて、室外機をいじっている
間に、エアコンがバランスを崩しグーーラァアーー、
ああ!落ちるう!と声が出る間もなくガッシャン!!と。

高級機種がたった一撃の落下で壊れました。
一応、取り付けて運転してみたものの、ああ、やはり駄目です。

お兄さん、どうしてくれるのでしょうか…。
今のところ、坂本が納得する代案は頂いていなくて、暑い夏。
(我が家では家電の選定は坂本が全権を握っています。その坂本
が惚れ抜いていた高機能エアコンでしたので、彼も簡単には妥協
できない様子。ふう〜やれやれ。)

悪気はないのですから、お兄さんに怒っているのではないのです。
ただ、単純に、困っています。
我が家の少ない財産だったのですし、エアコンなしでは、瀕死の
ももの体調にも響きます。

弱り目にたたり目と昔の人は良く言ったものだなあと変な処に
感心します。

拍手[1回]

ももは もう毎日、ただ横になっているだけで精一杯。
大好きだったお散歩にもいけない状態になりました。

それでも、目の輝きは失われておらず
意識ははっきりとしていて、元気だったころのももと
何も変わっていないのがわかります。

病気の進行がもっともっとゆっくりだったなら、ももの
意識、感じ方も病気に合わせて変わっていったでしょう。
でも本当に、急激に、健康で元気だったももが、動けな
いほどの重病になったので、意識のほうは元気だった頃
とは変わらないのです。

もしも、私が重病になって、
二度と起き上がれない死の床に臥せっていたら、
私は家族に何を願うのでしょうか。

考えてみました。




私だったら、家族には、いつもと変わりなく過ごして欲
しい。テレビを見て笑ったり、ふざけて大騒ぎしたり、
普段通りに、自然なままで居て欲しい。
臥せっている私を、邪魔にせず、そして気を使い過ぎず、
ただ今まで通り、傍らに居させて欲しい。

私は、そんな家族の騒音に包まれて、きっと心休まるで
しょう。自分の属した、愛するものたちの、普段通りの
生活の中で、例えいっときは苦しむとしても、その生活
の中で静かに眠りにつくことが出来たなら、本当に幸せ
に思うことでしょう。

例え、声が出せず、みんなにお別れを出来ないとしても
家族がテレビを見て笑い、楽しく和やかに食事をしてい
るその傍らで、気づかれず息を引き取るのもまた、とて
も嬉しいことでしょう。

苦しむ私の傍らで、家族が、「何も出来なくてごめんね」
とか「可哀相に、可哀相に」と涙にくれ、悲嘆にくれて
いたなら、私はとても心配です。
それに、私は家族の笑顔を見ることが好きなのです。

私が苦しくても、家族が笑って居てくれれば、私は本当
に安心して、安らかな思いをするでしょう。
体は苦しくても どんな状態の私であっても 愛されて
そこに居させてもらえることの安堵感で 本当に安らぐ
ことでしょう。

病院で 生活から隔離されて 禁忌のように扱われて
体にたくさんの管をつながれて そんな風に逝くのは
悲しいです。辛いです。嫌です。
病気になった途端に 家族の生活から捨てられるように
病院に入れたりしないで下さい。
病気の私でもどうかどうか愛して下さい。
側に置いていて下さい。

家族の側で 家族の生活音に包まれているなら
私の家族は、いつもこんな風だった、と思い返しながら、
私はきっと、安心して、最期の息を引き取ることでしょう。





ももがどう思っているのかは ももに聞かなければ
わからないけれど 私は ももが本当に本当に心から
私たち家族を愛し、信頼していることを知っています。

だから ももが心配したり、家族を想って悲しくなったり
しないよう 私たちはいつも通りの生活を続けています。

ゲームをして笑ったり騒いだり、
美味しい夕飯を楽しく食べたり、
じっと痛みに耐えて横になっているももの側で
私たちはみんな いつも通りの毎日を過ごしています。

拍手[2回]

我が家は基本的に娘のスケジュールでようやく季節感を
感じるようになっていて、自分だけだと一年中、ろくに
周りが見えていない気がします(汗

そんな娘の夏休みが始まりました。

考えると、40日も連続で休めるっていうのは、ほんと
すごいことですね〜。

学校という日常からの解放感。
毎朝、今日何しようかな!?
毎晩、明日何しようかな!?

いいなあ。

私にもそんな時期があったのかも知れないけど
私は娘のように伸び伸びしてませんでした。
毎日親に監視され宿題はやったのか、家の手伝いが出来
ていないぞ、妹弟の面倒を見ろ、お使いにいけ、と言わ
れ続けて、ちっともホッと出来なかったような気がします。
気のせいかもしれないけど。

別宅の、娘が小学校に入る直前まで暮らしていた家が、
取り壊されることになりました。
それで、その家にまるまる残していた家財道具の処分や
整理に追われています。

結婚する前からもっていたもの、娘の小さかった頃の思
いで、たくさんのものたちは、私の人生が切り取られて、
そこにあります。
だけど、とても全部は持っていけない。
だからほとんどを処分して捨ててしまうことになりまし
た。昔ほど、物に執着しないので、手を合わせてお別れ
することができましたが、つくづく、人が長く生きれば
それだけ、ものも増えてしまうのですね。

無くても困らないのに、こんなにもたくさんのものたち
に囲まれて暮らしていた自分を思うと、エゴや執着の塊
であったことをつくづく思い返します。

それにね。
やっぱり私は、過去お金持ちだったのですね。
本当に、高いものを平気でまとめ買いしたり、何回も着
ないのに高価な服、高価なアクセサリー、良く考えずに
衝動買いしていましたね。家具も高いものをたくさん買
っていました。同じようなものが、今だったらニトリで
十分の一くらいで手に入ることでしょう。
その残がいたちとも、さようなら。

開発時代の、2000万円相当の機材。
世界にただひとつの、私たちの創作した企画書。
試作したゲーム作品。
原作者としての記念品。

それも今となってはゴミ同然です。

もう間もなく、一切合切が、重機で家ごと、潰されてい
きます。もったいない気がしないこともないけど、それ
もまた、きりのない、執着でしょう。

思い出を振り返る時に必要な
ほんのかけらだけを残して。

さようなら。
お別れします。

本当に、シンプルな生き方に脱皮するために、捨てるこ
とはステップアップなのかもしれません。

シンプルな夏。
高気圧とともに、入道雲が立ち上がり
空が高く。

風と青い空と仲良くできる 夏がやってきました。

拍手[1回]

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