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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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宗教に触れたことのある人なら分かると思うけれど、宗教と
いうのはとにかく「感謝」を推奨するものだ。

私が触れたのは仏教のいくつかとキリスト教のいくつかだが
どこの集会、礼拝に行っても「感謝」という言葉を聞かなか
った事は一度もないと思う。

キリスト教の礼拝では、牧師の言葉の合間にさえうなづきの
代りのように「感謝」「感謝」と言う人が何人もいる。
夫と付き合っている時に、一緒に礼拝に参加したら、その感
想も「キリスト教ってやたらと感謝感謝言うねえ。何にでも
感謝だねえ」と言ったくらいだ。
祖母の信仰していた仏教の月刊本にもやたらと感謝という字
が躍っていた事を覚えている。

確かに、自分の心に感謝の念が沸き起こった時の、光に包ま
れるような幸福感は、他に比べるものが思いつかないほど素
晴らしいものだと思う。

けれど、一方で、私は思う。
「感謝しろと言われて感謝できるものだろうか」という事。
「感謝しなければ、と思って作り出す感謝は、本当の感謝と
言えるのだろうか」

私は、親に対して感謝すべきだと強く信じて生きてきた。
何度も感謝状を書いたし、ありがとうとも言ってきた。
だけど、それは本当に、あの素晴らしい光溢れるような感謝
だっただろうか。違うと思う。

心に感謝というエネルギーが宿る時、自分自身のちっぽけさ
を感じそしてすべての苦難を超越して幸福感を感じる。
そのような感謝を、両親に感じたことがこれまであっただろ
うか。

残念ながら、それはまだ起きていないのだ。
私は親を敬うべき、私を育てる時の苦労に報いるべきだとは
強く思うし、頭のレベルでの感謝を感じてはいる。
しかし自分を超越した感謝のエネルギーを両親に対して感じ
たことは、正直に言うとまだないのだ。
それはとても残念な事に間違いない。
申し訳ないとも思う。
私はいつか、両親に心から感謝出来ることを願っている。


ただ、私は本物の感謝のエネルギーを感じた事がある。
その事が救いだ。

今、いろいろなものに対して感謝出来るエネルギーがふとや
ってきている。つまり、感謝とは自分の中で作り出したり搾り
出したりするものではないのだと感じる。
自分の中をクリアにしていると、ふととても大きなエネルギー
の源にアクセスするように思う。そしてそこから、光のような
エネルギーが流れ込んでくる時、私は感謝や愛そのものが自分
の中にやってきたと感じるのだ。

だから私は、自分をクリアな状態で維持しようと努めている。
その事には一生懸命だ。それが修業であり、私の人生の課題だ
と思っている。

私に関わる、多くの方、一人ひとりに感謝している。
私に批判を与える人にも、感謝を感じる。
そこに生きているすべての命と存在するものすべてに感謝している。


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