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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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人生において 本当に大切なことはなんだろうと考えてみた。

誰もが漠然と いつか自分が死ぬことを知っている。
だから、よく言われるのは 「生きた証に何かを残す」ということ。


何かを残したい…と思って努力したり 夢を追ったりすることは
素敵なことだと思う。

けれど
「何かを残したい」「何を残すのかが重要だ」といった言葉を聞くと
私には なにか 未練めいたものを感じられて
自分にはぴったりこない感じがする。

残す…という言葉そのものが 自分が居なくなった後の状態を想像している。
自分が居なくなったあとにも、自分の気配、自分の足跡、自分の匂い…
そういったものが世界に残っていて それが残っている人や世界に
わずかでも影響しているようにと…。


自分がいなくなった後の世界に 私はかけらも残っていない という
未来を想像するのが嫌なのだろうか。
だから「なにかを残そう」とするのだろうか。
自分が居なくなるその恐ろしさを、何かを残したということが慰める
のだろうか。

果たして 何かを残そうとして生きるのは 楽しいだろうか?
私にはわからない。

私にとって 何かを残すことより ずっと大事に思えることがある。

それは 毎日の日々 名もなき日常の一瞬一瞬を 存分にありのまま
感じて いじけず へこまず ひがまず ねたまず 憎まず
ひたむきに 懸命に生きることだ。

自分の力で 自分を支え より良いものが自分の中に芽生え育まれる
よう願い 他者の幸せや安らぎを願い 懸命にひたむきに生きること。
それを 最期の日まで続けられたなら、その人は 十二分に生きたと
いえるのではないだろうか。

立派な人生を往生したと 胸を張って良いのではないだろうか。

名もなき人が 累々と 過去に眠る。
彼らを振り返るものはいない。
けれど 彼らが懸命にひたむきに生きたのなら
彼らは 立派だったと言っていいのではないだろうか。

悲しみの多い人生を送った人もいるだろう。
痛みに苦しんだ人生を送った人も。

障害を抱えたもの 貧しさにあえいだもの

人はそれぞれに 何らかの重荷を背負ってもがきながら生きるけれど
それをもって良い人生、悪い人生と分別したくはない。

どんな人生であったにせよ 
その人が懸命にひたむきに生き 最期を迎えたのなら
その尊厳こそは侵すべからざる聖域のような気がする。

一生懸命生きよう、と思う。
何も残らなくてもいい。
私は、一生懸命に生きて、生きて、生きてみたいと思う。
そして、千の風の一吹きになって地球に還ろうと思う。

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