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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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本を書こうと思っていろいろ草案をまとめている処だけれど
以前からノンフィクションでいくかフィクションでいくか、
非常に悩んでいる。

10才から19才まで、私は小説やマンガを書いていた。
この場合作品はすべてフィクション。
23才から27才までの間は務めていた会社でゲームソフト
のシナリオなどを手がけた。これもすべてフィクション。

27才で自分で会社を創業してからフィクションは一作も書
いていない。あまりに大きな額のお金に携わり、社員の生活
を支える責任を背負い、空想の世界に留まるような余裕は完
全に失われていたからだ。

そしてカウンセラーとして働くようになってからは、自分自
身と相談者の人生の奥深さに、自分の頭の中で作るようなフ
ィクションなど白々しく薄っぺらな作り話に思えて、到底創
作する気にはなれなかった。

現実の奥深さ、豊かさに比べたら私の描くフィクションなど
その要素をほんの少し切り取っただけの虚構だ。

けれど最近、また少しフィクションのメリットと力を再確認
している。

それは、フィクションだからこそ、読み手は安心する、とい
う点だ。

もしも、「近日中に死ぬことになっている人の話」の本があ
ってそれが実話の場合と、フィクションの場合、読み手の心
の状態はまったく違う。

実話にはそれがどんな話であれ、重みがある。
それがどんな深刻な話でもこっけいな馬鹿話でも、実話だと
いうだけで軽々しく扱えない、重厚さが自動的に生じる。
だから読み手は、その話に抱く感想にもかなりの制約を受け
ることになる。近日中に死ぬ、本当の人の話を鼻先で笑うこ
とは出来ないだろう。

しかしフィクションだと読み手は、その物語に対して自由な
感想を持つことができるのだ。近日中に死ぬ架空のキャラク
ターに、同情も反発もできる。それがフィクションだと分か
っていればこそだ。
バカ話なら遠慮なく批判する。話の展開が気に入らなければ
作者を批判することも出来る。

フィクションは、読み手を自由にするのだ。

その特性を十分に考慮した上で、伝えたいことのテーマを絞
り、テーマを最大に活かす舞台設定を起こし、テーマに相応
しい登場人物を配する。それが、作家の仕事なのだろう。

実際の処、私自身も一人の読者として、その作品のテーマや
作風に好き嫌いはあるが、どんな作品を読んでもそれが創作
と承知の上でもなお、感じ入る処があるし、気持ちが動いた
らその分、間違いなく影響を受けている。
最近では「風の名前」がそのいい例だ。

恋愛ものだろうが、歴史ものだろうが、SFだろうが、その作
品の中に描き出されるのはストーリーの中で翻弄されながら
生きる登場人物の生き様や情感だ。

深刻な世界の現実、生きている人たちの美しさに現実として
日々触れていて、それをノンフィクションのジャンルで伝え
たいとも思うし、フィクションにまた戻ってみるのも悪くな
いのかもしれないと行きつ戻りつしている今日この頃。

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