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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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以前、福岡の中学生が自宅納屋で首つり自殺をした事件が全国ニュースになった時に、バンキシャの取材を受けたことがある。

東京から来た記者と、福岡で調達されたらしいカメラマンがやってきて、カウンセリングのもようを取材したいという申し出だった。
クライエントを取材させる訳にはいかないので、私が質問に答える範囲でという内容であらかじめ承諾していた。
すぐに、イジメが原因になっているものはどのくらいの比率なのか、一ヶ月に何件くらいの相談があるのかなど、ごく短いインタビューが2、3分あって、インタビュアーの記者は質問しているというよりは自分の思っている事を私に話しているような感じで私に同意を求めてきた。「学校の先生が問題なんですよね?」「いじめで自殺したと思いませんか?」このような誘導付きの質問に私がひっかかる訳は無い。相手の聞きたい言葉がわかってしまうと意地でも言いたくないへそ曲がりだ。
埒が明かないと思ったのか、記者はやおら、キビキビと映像的なアングルを指定しカメラマンに指示しはじめた。私のコメントにも注文が付き、今の処をはっきり言って欲しいとか、まるでドラマの撮影なのかと思うような感じになってきた。

よりセンセーショナル、よりショッキングな映像やコメントを撮りたいという意識がむきだしの取材で、取材というより制作だと感じた。私は終いには、報道のはずなのに、こんな創作には付き合い切れないと思い、「そういう断言は出来ない」と断った。
翌日、別の場所で取材したものを使うことになったので私の処は使わないというメールが来た。
向こうの望む通りにショッキングな証言をしなかったので使われなかったのだろう。

バンキシャという番組は報道番組ではなく、夜の枠のワイドショーだ。
少なくとも私の会った記者からは、正しい事実を伝えようという意志はまったく感じられなかった。

今回、どこかの県が裏金を作っていると証言する男性(威力業務妨害で逮捕された)のニセ証言をデカデカと報道し、問題になっているが、私にはそういう事が起こるのは当たり前に思える。
日本テレビに限らず、テレビ局の報道は、見る側もよく吟味する必要がある。

テレビで言ってるから真実だとは限らないのだ。
よく疑い、自分で考え、結論を出すこと。
これは大人として身に付けるべき心得である。


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NPOの全講座の組み直しと、経営策が理事会で話し合われている。
経営コンサルタントも入り、現在の案では全講座の価格がかなりアップしている。
というよりまったく別のものに生まれ変わろうとしている。
コンサル曰く「これでも相当安い」
経営頭で考えれば、私もそう思う。
そしてその価格を付けるだけの内容を提供していると思う。

が。これまで何の為に安価な講座をしてきたのか。
そして、31期に至るまで、誰にでも門戸を開いて開講してきたのは、誰の為だったのか。
もちろん、何万円もセミナー代を使おうとは思いつかない人たちの為だった。
どんな人でも、気軽に、あそこに行ってご覧と言われて試せるような、そんな講習会でありたかったのだ。
それを思うと心が乱れる。

31期の講座を行いながら、受講生の人たちと触れ合う。
講座が大幅に高い値段に上がれば、この層の人たちとはお別れになる…と思うと何故だかものすごく悲しくなった。金額という手段で人を選別したくないので、低価格に設定した。
この人たちを切り捨てようとしているのだと思って、とても堪え難くて胸が詰まってしまった。
「定期開催してますから、聞きたくなったらいつでも来て下さいね」と言えなくなっている事がつらい。

本当にこの策でいいのだろうか。
このココロは、今の案にしたがって変身してしまっていいのだろうか。
私は間違っていないだろうか。
これは何の為の戦略なのか。この戦略は社会の為になる事だろうか。
ずっとその疑問で何日も考え込んでいた。

ふと、テレビをみるとジャパネットたかたの 高田明社長があの甲高い声で話している。
私は、この高田社長が好きで、彼のトークをいつも楽しく聞いている。

この人は、商売でこうして一生懸命商品を説明して、実際売り上げを伸ばし、儲かっている。
でも、この人から悪どい印象を受けることはない。
むしろどこか素朴で、憎めない、暖かい、そういうイメージを抱かせる。
ジャパネットは業界1安い訳ではないけれど、この人から買ってあげようと思わせる何かを持っている人だ。

それは、彼がただの街のカメラ屋さん時代から今日まで、同じスタイルで商売をしているからではないだろうか。あの甲高い声で一生懸命、商品を説明する。ほら、この商品はこんなにいいでしょう?こういう使い方も出来るんですよ。そう言って、自分の近所の人が来店する度に一生懸命説明して、商売してきた人だ。そして、その一生懸命説明して売るというスタイルを、今も貫いている。

今もそれを続けているという処に、この人の本性があると感じる。
何年も何十年も続けられる事、そして変わらないでいられる事は、そんなにたくさんはない。
だから、私は高田社長を好きなのだ。
高田社長は商売人なのに、どこか純粋でクリーンなエネルギーを感じさせる。

ジャパネットの、高田社長の姿を見ているうちに
ふと、高田社長を見習えばいいんじゃないかという気がした。
高田社長がやれたなら、不可能じゃないはずだ、と思えた。
すると胸に重く溜まっていたタールのようなものが、すっと消えた。
お金を受け取ったり、計算したりする事に関わりたくないという自分の無意識が、静まった。

私は、その人の収入に関係なく、すべての人に傾聴マインドを届けたいと強く望んでいる。それは今も、これからも変わる必要はないのだ。安価で講座を提供する手段は、これからも模索していく。
そして、私が傾聴講習会から離れる時に、それを継いでくれる人を育てなければならない。

ずっと頭のレベルで止まっていたものが、すーっと腑に落ちてきたような気がした。
傾聴ってこういう使い方もあるでしょう?ほら。こうすれば楽になりませんか?そうやって、頑張っていけるような気がした。

そのままのあなたでいられる社会。
あなたが誰かに支えられ、誰かを支えてあげられる方法。
みんなで循環させること。

それが本当に出来たら、すごい事なんじゃないだろうか。
私に出来ることなのか、手に余ることなのか、わからないのだけど。

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自分に試練がきたと思った時や
自分がとても不幸な目にあっていると思った時に
私は幼い頃から祈ることを習慣にしてきた。

親も本当の自分を理解していない。友達にも同じような人はいない。
だから私はたった一人で自分の苦しみと向き合わなければならなかった。
そんな時いつも宇宙に向かって祈っていた。神がいるならそこにいるんだろうと思ったし、宇宙には精神生命体や集合意識がいると信じていた。
なにより自分はもともとそこに所属していると感じていたし、宇宙は自分の故郷だと思っていた。

私は何の為に この地球に来ているのですか。
教えて下さい。
この苦しみは何の為ですか。
必要な試練ならすべて耐えてみせます。
だからその意味をどうか教えて下さい。

それが長い長い間続けてきた、私の祈りだった。学校帰りにも、家の押し入れでも、トイレの中でも、公園のブランコでも、自転車で走りながらも、この祈りを続けてきた。本能が生み出した、オリジナルのクリアリングメソッドだ。

今、苦しんでいる訳ではないけれど、試練が来ていると思う。
経済的にゼロクリアが起こり、NPOの大幅な組織変更、明らかに現象としても転換点である。

今、自分の事で苦しむことの減った私は、新しいクリアリングメソッドを使い始めた。
それは「ごめんなさい」「ありがとう」「愛しています」という言葉だけを宇宙に放つメソッドだ。
Ho’oponopono(ホ・オポノポノ)というハワイのメソッドだ。

今、世界で起きているあらゆる現象も、自分の身に起きている試練も、通りで怒鳴っている人の怒りも、すべての事の責任は自分にあるのだという事を受け入れ、謝罪と感謝と愛を送り届ける。
これは自分を等身大の個として捉える概念ではとても実施できない。
自分の中の自己を超えた部分にアクセスし、小さな肉体には背負い切れない地球規模の全ての責任を、すべて引き受ける。

今、目の前に来ている試練は、私の責任だし(これは簡単に受け入れられる)、世界で起きている飢餓も私の責任(これはチャレンジしなければならない)だ。
「ごめんなさい」「ありがとう」「愛しています」

瞑想しながらこれを繰り返す。

それと 西光寺の和尚さんから頂いた朝の108の祈りを繰り返している。


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現在今年1年分のスケジュールを決めているのですが、もうね、死にそうに
忙しくなる予感。というか事実、そういうスケジュール。
現実なのだろうか、これに私は果たして耐えられるのだろうかと不安に襲わ
れること一週間。

まず第一に、私は喉が弱点なのです。
声楽を諦めたのも、喉が弱いからで、ずっと張った声を出していると、あっ
という間にポリープが出来たり、喉から発熱したりします。咳喘息も持病だ
し、万一そういう状態になると回復がこれまた遅い。
だから、朝、昼、夜の三回の講座開催が2日続くスケジュールなど、本当に
体力的にこなせるのかどうか、自分でやれそうな気がしていない訳です。

でも、今年はNPOの経営建直しが課題なのです。
その為に建てた経営シミュレーションの結果、これくらいの講座開催が必要
となる。そういう転換期です。
であれば、自分の中を調整し整えて、頑張ってみるしかない。

NPO法人をやっているのは、傾聴する心を宿す人々を、社会に出来るだけ多く生み出す為です。それをずっと続けるには、後継者を育てる必要があります。私が死んでも、団体は残り、傾聴する心は生き続ける。その為にNPOの再生にチャレンジしているのです。


正直、傾聴講座が今よりずっと高い値段になる事にも、講師としての自分はとても抵抗があります。
あんなに安価でやっていたからこそ経営的に成り立たず、こういうド貧乏になった訳ですが、安価だったからこそ参加出来た人がたくさん居るでしょう。
その人々は、これからはおそらく来なくなります。

でも、それは後継者を育てる為の忍耐の時…と経営コンサルの人からは言われています。
忍耐の時に私が耐えられればいいのですが。
自分の軸とずれた事はどう言いくるめられても長くは出来ないものです。

経営者の私は、それは理にかなっていると思います。私はもっとビジネスライクになるべきだと。
しかし、それはこれまでの私のスタンスや、私のカラー、私の存在価値を台なしにするのではないか?そういう警告も心の中から聞こえています。
修正出来るズレなのかどうか…。
やってみるしかありません。
そして、自分のやり方と違うと思った時には私はNPOを離れるかやめる事になると思います。

願っているのは、私と同じくらいのスキルで傾聴講習会を行える講師が10人くらいいる事。
彼らが、例えば九州の各県にいて、各地で傾聴講習会を安価でしている事。
傾聴スキルを学ぶ事が社会に認知され、多くの人が一度は受講しておこうと考えるような人気のある学びになる事。たくさんの人が他者に優しく耳を傾け、寄り添おうとする努力をしてくれる共存と循環の社会。

もしもそれが実現出来たら、私は今の人生での役目は十分果たしたと言えるのではないでしょうか。
あと何年かなあ…。

歩いてヨーロッパまで行こうとする旅の、一歩を歩き出した、そんな気持ちです。

ちなみにチベット亡命政府の厚生大臣、チョペさんは、私が背中をマッサージしてあげている時に、「インド北部のダラムサラから日本まで、歩いたら2年で行けるかな」といってました。ジョークではなく真面目な顔で言っていましたが、どれだけ健脚なんだ、と思いました。
私の旅はもうちょっと長くかかりそうです。

神のご加護、仏の導きがありますように。


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寒くなったり、暑くなったり、強風が吹いたり黄砂が来たり。
春ですねえ。

大手門のお堀沿いの桜がはじけ始めのポップコーンみたいに、いくつか開いています。
つぼみは膨らんで、今にも弾け出しそう。
咲くよ、咲くよ、もうすぐ咲くよと言っているようです。

娘が帰ってくるなり、カメが27匹(!!)甲羅干ししていたと報告してくれました。
娘は、もうすぐ春休みになります。
子供が家にいると、仕事が手に付きません。
でも春休みがあるのっていいなあ。うらやましい。。。。。。うう…。
大人にも春休みを下さい。。。

ワークシェアリングをして、みんな交代で休暇を作り、お給料も分け合って生きられるといいのにね。

春を探しに、娘の春休みに何をしようかな。
考えるとワクワクします。

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最近、娘がこのブログの存在を知ってしまった。
夜、ベッドの中でネットサーフをするのが日課なのだが、娘は学校で
ストレスが溜まった日には私のベッドで一緒に寝るといって潜り込ん
でくる。
ちょっと前まで本を読んであげていたのだが、一緒にノートパソコン
をのぞき込んでくるので、娘が喜ぶ犬やネコの面白動画を検索して、
一緒に見ているうち、このブログを開いたウィンドウに気付かれてし
まった。
これは何というので「ママの日記だよ」というと「ええーっママはパ
ソコンで日記を書いているの?」と驚いて、読んで欲しいとせがむ。

難しくない記事を読んであげると、「へえーー。へえーー」としきり
に感心している。
そしてこの処、連日「ママのブログを読んで」という。

娘との話題を書いているページを読んであげると、自分がブログに登
場している事も嬉しいらしく「ああ、あの時の事かいたんだね」と楽
しそうに思い出している。

可愛いけど、娘に秘密の内容は書けなくなるのも困るなあ。
今日は絵本をベッドサイドに置いておこう。

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必要な人材がようやく揃ったので NPOの経営建直しに本格着手して5ヶ月が経過。

スタッフの整理が終わり、新しいルール作りも外郭が見え、人材不足なのでやむなく経営者としての仕事を本気で9年ぶりにやっています。

スタッフの希望もあり、NPOの事業から外した講座もあるので、そっちはそっちで別途経営を考えないといけません。

で、NPOの経営シミュレーションをして、あらためてため息…。
普通の会社と同じように事務員を雇い、事務所を構え、給与を出す前提で固定費を割り出し、傾聴関係の講座と講演会だけで事業を組み立てると…。
いやあ、こんな会社、存続させられないね、というくらい収益性が低い。というより赤字の解消は現状では不可能。やればやるほど負債が増える。
やはり、私が当初考えた「収益性のある講座を同時に事業化しないと成り立たない」と思った概算はその通りでした。傾聴周り以外の講座を外してこのNPOを運営するのは、「無謀」としか言えない。何しろすべての講座を定員きっちり動員して、私が丸一年、むちゃくちゃ働きまくっても、固定費を捻出出来ないんだから。
やれやれ、新しい経営策をひねり出さないとこの団体は維持出来ません。
ホントに手のかかる子だねえ、「このココロ」ちゃんは。

それを見ないようにして、ここまで維持してきたんだから、すごいよなあ…。
この赤字を何年も、全部一人でかぶってきたんだもんねえ。馬鹿だよねえ。と本当に心底しみじみといろんな意味で感心します。
これじゃあ、この活動に全ての労力を捧げている私たちが貧乏になるのは当然だし、携わったスタッフがやってもやっても報われないのは当然です。

しかしようやく何年も何年も耐えながら待っていた人材が現れました。本気で経営をやろうという意志を持ったスタッフです。しかも十分に頭がいい!これでやっとまともな形になる要件が揃いました。すぐに経営コンサルタントを入れ、新生このココロとして始動開始です。
その流れがあって、私も長いこと見ないようにしてボロボロにしてしまった経営に着手できるという訳です。いずれこの経営作業も、経営スタッフが成長するに伴い、すべて引き渡し、私は講師に専念します。今は人材が少ないのだから、出来ることを、出来る人がやる。

さて一方、NPOから外してしまった講座の事業シミュレーション。
これは私の個人事業になってしまった訳ですから、自分でやるしかありません。
さてこちらの試算はどうなるかな…。
ああ、やっぱりね。こちらはNPOとは全然違う数字になります。
まともな会社らしい試算結果。というか優良企業になる見込大ですね、この試算なら。
この事業を含めて経営を回していれば、NPOの経営は楽なんですが外す事に理事会が決めたのだから仕方ないことです。私はこの講座にも愛情を持っていますので、こちらも受講者の為に一生懸命やって行こうと思います。
この講座を続ける為に会社を立てようかな…。思案中。
私は経営者は出来るけどやりたくないし、講師に専念したいので、こちらも誰かにお願いしなくちゃ。まあ、こっちの事業はだれがやっても上手く行きます。

問題はこのココロの方だ…。さあて、どんな策を講じようかな。
目の前に解かなければならないパズルが浮かび上がりました。
謎は解かなきゃ気が済まない。そしてどんな謎にも必ず解がある。
ワクワクです。

それと、今やっている仕事とは全然別の、地域経済活性化が実現する仕事を起業しようかと考え中。
これは心理の世界とは全然ちがっていて、地域密着型のコミュニティビジネス。とても楽しいアイデアが浮かんでいる。若者も老人も笑顔になる地域支援ビジネス。
これもワクワクです。

もう一つはペット関連で商品化したい発明品のアイデア。
これは私にとって完全に遊びなんだけど、商品化したら確実に世界でヒットすると思っています。

あーあ、体がいくつあっても足りないです。
春だなあ、ワクワクするなあ。
私と一緒に仕事してくれる人は居ないかなあ。
きっと楽しい毎日になると思うけどなあ。

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最近、日本でも多分この人だけかもしれない、と思うくらい特別な方法で壁塗り(左官)をする職人さんと出会った。

その方は、壁に塗る土を自分で山に行って探し、配合して、その壁の為の土を作るのである。
「土はいい!人間は土から離れちゃだめ」と熱く語る左官の親方はものすごくキラキラしていて、素敵。本当に仕事を楽しんでいて、仕事が好きでたまらないのだそうだ。
家の壁を塗る時には、本当はその家の土台になっている土を使うのが1番、その家に合うのだそうだ。昔から、日本の家はそうして作られてきたのだと言う。

部屋の一面だけでも、土壁にすると部屋の場が変わるそう。
すごく分かる気がする。今、親方は、マンションの中の一面だけでも土壁に塗ってくれる職人として、全国から注目されている。土の専門家だから、泥団子の作り方もプロで、ブログでは作り方を写真入りで公開してくれている。

私はベランダで土を触って、植物の世話をしていると時間を忘れてしまう。
私が時間を忘れて出来ることは数少なくて、その一つが土いじりだ。

今日は、巨大ウジ虫くんたち(カブトムシの幼虫)の土を替えてあげた。
カブトムシの幼虫は土を食べているので、土が糞だらけになったら食料不足になってきたというサイン。土を全部入れ替えてあげないと死んでしまう。カブトムシが成虫になるのは7月。あと何回か、土の入れ替えをしてあげないといけない。

土を掘り返して、カブトムシの幼虫をつまみだし、手を泥だらけにして、土の入れ替えをする。土の水分量を手で握りながら調整して、養分として牛糞の肥料を混ぜ込み、幼虫を戻す。小一時間の作業だけど、いつまでもいじってしまう。
ついでに庭の植物の芽を手入れしたり、いろいろやり始めてしまう。
背中が日に当たって、熱いくらい。首筋が日焼けする。
タオルを首に巻いて、農家の人のように何時間もしゃがみ込んで作業する。

いつか、土の側で、平屋の小さな家で暮らそう。
庭に小さな畑を作り、家族で食べる野菜を作ろう。

土の側で暮らさないから、人間は壊れて行くんだと、職人の親方は言った。
そうかも知れない。本当にそうなんじゃないか、と思える。
お金が少し自由になったら、是非親方に、壁を塗ってもらおう。
本当にそう思っている。

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いろんな人とカウンセリングや仕事を通じて出会ってきた。
私の仕事はその人が一人で歩いていけるようにすること。
だから、回復した人たちとはお別れするのが決まりだ。

彼らが私の処へ通うのをやめた時、私の仕事も役目を終える。
私はいつもそれを、喜んでいる。

つえが必要なくなったのなら、それは間違いなく回復と言えるし
その人が自分一人で歩き始めるだけの誇りと自信と勇気を取り戻したという事だからだ。

私はその一人ひとりを、よく思い出している。
東京に行った人もいる。アメリカに行った人もいる。
九州のいろんな場所に引っ越し、その度に近況を知らせてくれる人もいる。
便りがあればもちろんきっかけになるが、私は彼らからの便りが無くてもよく彼らを思い出しているのだ。

面白いもので、その人ごとに、その人自身を表しているエピソードや名言があって、それを何度も思い出す。そして、今この瞬間、その人が平安であるように、笑顔でいるようにと祈る。

私に連絡をくれる人も、しない人も、まったく等しく、私は思い出し、祈る。
大丈夫、あなたは素晴らしいのだからとその遠くにある背中にエネルギーを送り続けている。

今、どうしているだろう?
と一瞬だけ思うけれど、そのすぐ後に、何をどうしていようとも、その人の人生が進んでいて、私はただ応援するだけだという穏やかな気持ちになる。
干渉は無用なのだ。ただ私は、応援する存在でいようと思う。

出会った人と過ごしたワークの時間は、どれも密度の高い素晴らしい時間だった。
それを共有した私は、彼らの事を戦友だとも思っている。
自分の人生をつかみ取ろうとして必死に闘った。
私は援護射撃をした。流した涙も、熱い怒りも、共有した。
杖でいるために、平静に見えたかもしれないけれど、彼らの涙は私の涙だった。

みんなみんな、私にとって大切な人たちだ。
どうか幸せで居て欲しい。
勇気を無くさないで。
あなたには出来るのだから。
何に行き詰まっても、いい。
生き続けることが出来るのだからそれで十分。

私はあなた方に決して干渉しない。
だけどただひたすら、心から願い続ける。
幸せでありますようにと。
神にも祈る。
どうか彼らに、その闘いを生き延びた証として幸福を与えて下さいと。

彼らとの出会い、そして共に過ごした時間は
私の人生から決して消えることはない。

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今日は朝から犬をお洗濯しました。

毎朝、娘をバス停まで送って、その帰り道に犬と舞鶴公園などをお散歩します。
今朝は地面が湿っていて、露がきれいに光っていました。
そこでボールキャッチなどして犬と遊びます。
犬はボール投げが死ぬほど好きなので毎朝の事なのにボールを見た途端、まるで一年に一度のリオのカーニバルかというほどに狂喜乱舞します。

そしてボールを追って弓から放たれた矢のように地面スレスレを飛んで行きます。
その姿は本当に美しくて、動物の持っている能力を発揮させてあげる重要性を思い出させてくれます。
ボールを拾うと、嬉しくて嬉しくて、くねくねを身をくねらせているうちに、気分が高まってついに地面に転がり、背中をぐりぐりと地面にこすりつけてしまいます。
これはうちの犬が機嫌のいい時の癖です。

それで、地面が湿っている時にこれをやると体が泥んこになってしまいます。
これが、犬お洗濯のきっかけ。
犬をあらうのは結構大変なので、きっかけを作ってくれることに感謝してます。
お風呂で、お湯から逃げ回る犬にシャワーをかけて泡だらけにして洗います。


今日の犬は、つるつるして、ぴかぴかして、ふわふわしてます。
そして、オレンジのいいにおい。
一緒にベッドで寝るのが楽しみな、世界で1番完璧な湯たんぽです。

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