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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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私…
27歳の時にお勤めをやめて自分で会社を起こしてから
18年ぶりに会社員というものを経験して
また本当にしみじみ思うのですけれど…

世の中の大半の人々が、こうして会社や組織に属して
その組織のルールに従って自分の人生を費やして
それぞれに与えられた仕事を行っているということに
本当に感嘆と畏怖を感じます。

お勤めとはなんと苦しいことか。
人生という自分にとって限られた命の持ち時間を
膨大に捧げ、移動する自由も気分が落ち込む自由もない
環境で、職務のためにただひたすらに同じことを繰り返す。
職場のルールというものはとても冷たくて、非人間的です。
家族が死んだときにさえ、休める日数が数字で決められている
のです。
(家族が死んだらいつ職場に復帰できるかなんて、そのときに
ならないとわからないと思いませんか?)

私にとって最愛の子供であるももが死んだ時には、それが犬で
あるという理由で一日たりとも休むことは許されていませんでした。
(火葬の日だけ、仮病を使って休みましたけど)

そうやって働くことの苦痛を私はこんなにも感じるのに
周りを見ても、周囲の人々はさほど不幸そうではありません。
職場の不満を一日中暇さえあれば愚痴っている人や、
他人の陰口やゴシップを一日中はなす人はいるけれど、
それでも彼らはとてもたくましくその環境に適応しているように
見えます。

私はその適応力にただひたすらに驚き、頭が上がりません。

学校という組織に7歳の頃から入れられて、小中高の12年間
組織に従い、ルールに従い、休まずルーチンをこなすトレーニ
ングを、みんなと同じように積みました。
それでも私は、まったくこの仕組みに適応できないでいます。

大学に行って、受ける授業も休みもすべてが自分の意思で
決められる環境になったとき、私の中で何かが叫びました。
「やった!!やっと息が出来る!!」

そう、アメリカは、私にとって生まれて初めて、自由に息のできる
環境でした。
マイケルジャクソンに会うかも知れないとドキドキしながら
ドライブしたビバリーヒルズ近辺も、住んでいた地域の住宅街も
夢に見ればまるで現実のように生々しくよみがえります。

何のためにそれをするのか?
何故するのか?
それは自分の人生を費やす価値があることか?

アメリカで、私はそれを繰り返し繰り返し吟味する日々を送りました。
「先生がそう言ったから」「クラスメイトがみんなそうしているから」
そんな依存的な理由で行動すると、アメリカではすぐにしっぺ返しを
くらいました。
依存的な人間は排除され、軽蔑される、それがアメリカの社会です。

すべては自己責任。それがアメリカの社会。
自律とは何かを考えずにはいられない社会なのです。

そんなところで一番心が大きく膨らんでいた時代を過ごし、私は
すっかり日本の社会には適応できない人間になってしまったのでしょうか。

日本に戻り、就職したのはゲームソフト開発会社。
自由な社風で、とても自主性を発揮できる環境でした。
私は伸び伸び意見を言い、エネルギッシュに出張をこなし、営業を行い、
会社の業績に貢献しました。

思えば、そういう会社だったから勤められただけなのです。

今いる会社に留まれているのは、私が年相応に辛抱強くなり、
短気を起こして軽率な判断をしなくなったからに過ぎず、相変わらず
適応は全然出来ていません。

どうして世間の多くの人は、文句を言いながらでも、
会社勤めが出来るのでしょう。
本当に尊敬します。

おそらくは家族のため、生活のため、夢のため、社会のため、自分に
かけられた期待にこたえるため、いろんな「何か」のために頑張れて
いるのでしょうね。
それだけでも、尊いと思います。

そんな尊いことができない、出来損ないの私は、
自分に出来ることをせめて全力で頑張って当然です。
世間の片隅ですが、私は自分が息ができるスペースを作って、
同じように適応できない人や、頑張りすぎて倒れそうになった人が
安心できるような、シェルターを作りたいと思います。

畑と、寝起きする小屋。瞑想する場所。
必要なのはそれだけのように思います。

私の目には、今の社会は、本当に生きるだけのことが難しい、
とてもとても過酷な場所に見えるのです。
そんなところで生きていたら傷つくのも疲れるのも当たり前です。

だから休める場所、避難できる場所を作りたいのです。

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