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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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彼女はまさに 天使だった。

同じ病室の すべての人の心にある 凍ったものや とがったものを
すべてその身で溶かしてしまうような美しい存在だった。

誰にでも向けられる真っすぐな瞳。
何の垣根もない花がこぼれるような笑顔。
お母さんに会える日には うきうきとしているのが誰が見ても分かるほど
素直な心を何の守りもなく無垢にさらしている彼女。

彼女を見ると 誰もが自分の心に溜まった澱(おり)や傷や汚れを感じずにはいられない。いやそれだけではなく 彼女と一緒にいるだけで 自分の心が美しく洗い流されていく事を感じるのだ。

彼女の容姿がどんなであろうと
その心に何の悪もない事は誰にでもわかる事だった。
彼女はまっしろな紙だった。
透明な空だった。
そしてただ命の限り咲き続ける花だった。

ある晩 いつもなら夜更かしして看護師さんの目を盗んではベッドの中で禁止されているチョコレートを食べる彼女が いそいそと寝支度をしているのに気づいた。

「今夜はもう寝るの?」
私が尋ねると
「うん。明日はね、早起きしないといけないからね。」
病院に居て早起きする何の用件があるのかと少し不思議に思ったが聞きたいラジオ番組でもあるのだろうと気にしなかった。

翌朝 私よりずっと早く起きていたらしい彼女に 朝のあいさつをすると彼女はにっこり微笑んで私に言った。
「見れたよ、見れたよ」
「何を?」
「開くところ」
彼女は病室の窓辺に飾ってある花を指さした。
ユリ科の花が一輪、開いたばかりの若々しい姿で美しく咲いている。

「開く時にね、ぽっ って音がするよ。だから、しーーーーー。静かーに、静かーにしないとね、聞こえない」
口元に指を立て 真剣な目をして教えてくれる。
「ぽっ って。ぽっ っていうよ。」
何度も口まねしてその音を聞かせてくれる。
「じーーーーっと、じーーーーーっと見てないと見られないよ」
まばたきもしないで 目を見開く彼女。

彼女は 知っていた。
彼女だけが 知っていた。
病室に花が開く瞬間を。
そして 花が開く瞬間に 空気を割る音が優しく響く事を。
何時間も、何時間もその瞬間を待って 彼女は優しく真剣に花のつぼみを見つめていたのだ。

ああ なんて
なんてきれいな世界に 彼女は住んでいるのだろう。
私は息をするのを忘れた。

彼女こそは地上にある天使。

彼女は優しいのではない。ただ無垢なのだ。
他人への思いやりに優れているのではない。
ただ生きているだけで その美しさと純粋さで私たちを癒し 
忘れてしまった大切なきらめきを思い出させてくれる。

地上にある天使。
ダウン症の彼女。
永遠の子供。
守るべき 比類なき価値ある存在。

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このブログでは私の内面を含め 全方位で何でも公開アリという事にしているが思うさまをダイレクトに文章にしている訳ではない。それなりに読んでいる人がいる訳で、その人たちに理解不能な難解な文章を書いたりしたら悪いと思う。
 難解な文書は嫌いではない。だが自分が難解な文章を書くことには抵抗がある。たとえば、もちろん読んで意味はわかるが、敢えてそんな難解な言葉をこの文脈に置かなくてもいいじゃないかと思うような文章だと、「読み手の上位、優位に立ちたい」という「書き手のコンプレックス」が透けてくる。平易な表現では自分に箔がつかないと思っている事がありありと見える安っぽい難解文に出会うと、痛々しいというか、気恥ずかしいというか、なんともいえない気分になる。

それで、自分は常に努めて読み手を意識して平易に書くことにしている。これは私の文章を書く上でのポリシーみたいなものだ。

世の中の、「ものによって」は、読み手の読解力を試し、分からない人には分からないでいいという書き方もあるが(保険の約款みたいに)、それはやっぱり高飛車ではないかと思う。書くからには、読む人が理解できるよう工夫を凝らすのは、礼儀というか、書き手としての姿勢の問題だと思う。

さて、私は昔から文章を書くのはまったく苦ではなかった。
何才くらいから文章を書いているかというと、私は一切の英才教育や早期教育を受けていないので、普通の人となんら変わらず、小学校で文字の書き方をならってからだ。
文字を読む方は、新聞を読む祖父の横で絵本を読んでいるうちに小学校前から自然に覚えていた。だが書き始めたのは小学校からだ。

それでも、小学校1年の2学期、担任から「国語に関しては、すでに小学校6年生並の能力があります」と言われた。6年生レベルどころか実は普通の新聞に出る漢字の7〜8割は読めていた。語彙力はおそらく中学生レベル以上だったのではないかと思う。私は本を読む時はいつも祖父のそばでだった。だから祖父に、「これなんて読むの?」「そしゃくってどういう意味?」という質問を頻繁に浴びせた。祖父は飽きずに答えてくれていた。

小学校時代は特に本をよく読んだ。暇がたくさんあったので、読めたのだ。図書館にある本を在学中のどの生徒よりたくさん読んでいた。かなり自信があるのだが、その小学校において、もしかして歴代一位ではないかしらん?

やがて2年生ごろになると、作文の課題が出されるようになる。たいてい、作文用紙1枚とか2枚という文量の指定がある。国語の時間内に30分、作文を書く時間などが与えられる。だいたい5分くらいで書き終わってしまって、えらく暇なので、暇つぶしに指定の文章量きっちりにする遊びを自分で考え出してやっていた。指定されたマス目をぎりぎり1杯をきっちり使って書くという事が一つのゲームだったのだ。そうでもしないと、学校は退屈すぎた。

担任が私の作文を勝手にコンクールに出す事もしばしばあった。
しらないうちに賞をもらっていた。一度は、県知事から直接賞状とメダルをもらったこともあるのであれは結構大きなコンクールだったのではないだろうか。

それならと一度自らコンクール用に力を入れて書いた作文を提出した。
するとあっさり落選した。私は驚愕した。適当に書いている作文が難なく入賞するのに、自信たっぷりだった力作が落とされるというのはどういう事か。職員室に行き、理由を担任にたずねた。「ああ、あれね。きっと大人が書いたものだと思われたのよ」と言われた。

子供らしからぬ難解な言い回しがふんだんに使われ、倒置法、隠喩などの小学生にしては高度なテクニックが盛り込まれていた文章だった。しかし当時の私は、自分が読んでいる本(主に推理小説や伝記など)に書かれている文章が基準だったので、それくらいの文章が一番自然だったのだ。作家のような言い回し、文学的表現を自然に模倣して使うようになっていたのだった。

初めて小説を書いたのは、小学校3年生の時だった。
壮大なストーリーの冒険小説で、我ながら子供らしい夢のある内容だったと思う。だが完成しなかった。当時の私には、えんぴつで文字を書くことがもどかしくて、耐えられなかったのだ。頑張ってはみるものの、作文用紙5枚、10枚といけば手が腱鞘炎になりそうなくらい痛い。それなのに、書かれている内容は頭の中で書き終わっている内容の百分の一にもならないのだ。
つまり、アウトプットする手段がえんぴつによる筆記だったので、長編小説は無理だったのだ。

中学の時、学年主任だった国語の教師にものすごく嫌われた。
私の能力は彼から謂れの無い批判を受けた。試験の点数は最高点なのに、国語の成績で5(最高点)の評価をもらえなかったのは初めてだった。彼は私がどれほどいい点を取ろうとも、私には5を与えようとしなかった。理由は分かっている。私が与えられた作文課題の中で、教師と日本の教育システムの批判を展開したからだ。私としては生徒側からの提案と問題提起をしたに過ぎなかったのだが、彼には強烈なシステム批判と映ったのだろう。その作文を見た彼は、明らかに苦々しい顏をしながら「君は考え方が根本的に間違っている」と言いながら、作文用紙を私に突き返した。顏には「お前は、生意気なんだよ」と書かれていた。それ以降、中学時代、国語で5をもらえることはなかった。
学校がとても面白くない処に変わった。

(暗黒の高校時代は長くなるのでまたの機会に。)

18才の時、ワープロを入手してから世界が広がった。
キーボードのブラインドタッチはあっという間に覚えて、いくらやっても手が痛くないことに感動しながら、また書くことに熱中した。童話をいくつかと、小説をいくつか書いた。だが発表する場のない、読み手のいない文章はむなしかった。

19才の時、交通事故に遭った。その慰謝料85万円で、迷わずマッキントッシュを買った。まだまだパソコンが高価な時代にあって、国産のNEC製PC95(30万くらい)ではなく、ヤッピー(アメリカの富裕層)の持ち物と言われたMacintoshSE(75万)を購入したあたり、やはり私は相当の変わり者だ。

そして、日本に会員制ネットワークniftyサーブが誕生した。私はその初年度会員だった。そのころ、niftyに入会している人は周囲にはまったく居なかった。ネットの世界はごく一部の限られた人たちだけが利用している時代、私はネットの中でやっと、語り合う人が出来た。いくらでも難解な文章を理解してくれる人たちに出会えた。私の年齢を言う必要のない、自由な世界だった。書いた文章による発言だけで、私を評価してもらえた。生まれて初めて、自由にものが言えた。
福岡でMac関連の雑誌を発行している事務所でアルバイトし、パソコンに関する記事を書いていたこともある。読者投書コーナーも担当した。
私の親は、この当時の私の活動に関して、まったく知らないだろう。

さて、ところで、
文章を書く時に、かつて第一の肉体的苦難はペンを握って動かすことだ。それはパソコンのキーボード入力によって圧倒的に軽減された。それと、文章を書く時の第一の精神的苦痛は、(私にとっては)出力が遅すぎるという事だ。考えている速度に、出力が追いつかない。じれったい。ペンで書いているのでは新幹線とアリくらいの速度差があって、じれったさでもだえ死にしそうである。これもキーボード入力と漢字変換ソフトによって大幅に軽減された。

しかし実はそれでも、まだ、出力速度の遅さにはいらいらする。
考えていることを、考えている速度のままで出力する装置が開発されたらどんなに嬉しいかと思う。SFの世界で、脳に直接プラグを差し込んで、考えるだけでいろいろな装置を操作したりするシーンが登場するが、あの脳プラグが開発されたら、自分も装着したいかも…と思ってしまう。

脳プラグが開発されて、高IQ者の脳に装着したら、ノーベル賞ものの発明は飛躍的に数が増える。これは間違いない。

ところで、この文章を書く能力を活かして、作家になったらいいんじゃないかと昔から考えていたのだが、私はどうもフィクションは書く気になれないのだ。
私にとっては、作り話より現実の話の方がずっと魅力的なので、自分が現実以上の作り話を書ける気がしない。

それじゃあ、ドキュメンタリーでも書いたらいいのかと考えたが、今度は書きたいテーマがまだ見つかっていない。

今一番書いていて楽しいのは、自分というテーマだ。
こうして自分の半生を振り返り、自分の過酷だった環境や自分が社会に馴染めなかった当然の理由について振り返る機会を持ち、深く考察する時間を持てるのは本当にありがたい。
だからこのブログが今のところ一番、書いていて楽しい。

それから、今思いついたのだが、「依頼されて書く」事はとても楽しい。
思えば、このブログもみさちゃんに依頼されて書き始めたのだったな。

私はこのブログは自分では人には紹介していない。
だからこのブログを訪れる人がどんな経緯でやってくるのかというと、ほぼ口コミ以外にないわけだ。どんな人がどのくらいくるようになるのか、それも秘かに見守っている。誰も見ないようになれば、自分が飽きた時点で閉鎖するつもりだ。今は誰も見ていなくても、自分の中を整理することに極めて効果的なので楽しく書いている。

依頼されて書くことは楽しいので、誰か私に書いて欲しい事があればご自由に言ってみて下さい。
書くと保証はしないけれど、面白いと思えることは積極的に書きます。


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嘘をつかれた。

私は、たいていの人の嘘を許せるほうだ。
なぜなら、嘘をつくとき、人は多かれ少なかれ自分の非を感じていて、その非を責められることを恐れるために「自分の身を守ろうとして」真実ではないことをしゃべることがほとんどだからだ。

嘘だと分かっても、それをことさら指摘しない。腹も立たないし、嘘をつかねばならない事には可哀想に思う。

けれど、今日、嘘をつかれた相手に、私はとても不快な感じを持っている。

A氏から、私に出張する仕事を依頼されていた。数カ月前から何度かコンタクトし契約書を交わしていた正式な仕事だった。約束していた仕事に出向くと、A氏は数日前に会社を辞めたといわれ、依頼されていた仕事は当日にキャンセルになった。そんな事はまったく問題ではない。だれしも急に予定が変わることはあるし、転職したい衝動に駆られてやめてしまうこともあるだろう。当日キャンセルされたって、金銭的に折り合いが付くことで解決できるし、相手方の会社が払う意志がなければ些細な金額などあきらめればいいことだ。

ただ、その仕事はA氏の会社との契約を結んだ形になっていたので、A氏が辞めても契約上の責任者は会社ということになる。会社側から、事後処理のために、明日話にくるということになった。
すると、A氏から慌てたように電話が入り、会社の人が来る前に私に会いたいという。

仕方がないので、今日の昼休みを潰して、A氏のために時間を作った。
何であれ、まあ、言い訳したい事があれば聞いてあげるつもりだった。そうすればA氏は楽な気分になれるからだ。

A氏は私に会うや否や、会社から自分が冷遇されて急に追い出されたとか、知りあいからいい仕事があると紹介されたからとか、言い訳を並べ立て始めた。
私の側にはA氏が辞めた理由を聞く必要はないのだが、彼は私に弁明したいらしく、一生懸命子供や妻もある身なのでなどと、私に同情を求めてくる。

仕事のどたキャンについての言い訳も始まった。それも私にはどうでもいい事だった。別に腹も立てていないし、謝ってもらう必要もなかったが彼がそれで気が済むならと思って会ったまでだ。

私は、「お気持ちはよくわかりましたから、もう結構ですよ」と言った。
ただ、私には気掛かりがあった。彼の会社と契約し、グループワークを数回行った際に、会った人たち(彼の会社の顧客)がいた。彼らは、みんな、大切な家族と死別し、深い心の傷を負った人々だった。私は彼の会社と10年規模の長期契約をしていたので、ずっとグループワークを定期開催する予定になっていた。それで、彼らに「またお会いしましょうね」と約束していたのだった。
実際、どたキャンになった日にも、以前会った人が来ていたという事だった。

「私がお会いした方々、その方々に、私の仕事があなたの元会社では無くなったという事をきちんとご案内して上げてください。私は彼らにまた会いましょうと約束しています。心を開いた状態でした約束は守られなければなりません。はがきでも結構ですから、その顧客には、連絡をして下さいね」とA氏に要求した。

A氏は、「わかりました。会社に話して私の元部下にはがきを書くように言います」と言った。「それでははがきを出すかどうかを、部下の責任にするということになります。私はそれでは納得しません」と返した。
「わかりました。私が必ず、はがきを出すとお約束します」とまじめな表情で、真剣に約束すると言った。

私には それが嘘だと分かった。

過去の行為を隠そうとして嘘をつくのは、ほぼすべてが保身の為なので、私はさして腹が立たない。

しかし、未来、自分がするつもりもない事を、さも真剣に、行うと嘘をつくことは、許しがたいのだった。

それを「騙す」という。

残念ながら、私に彼に騙されるほど隙がなかった。
彼が未来に、はがきを出さないことは分かってしまった。
騙されてしまえば楽なのだが。

つくづく、つまらない人間に関わってしまったと残念に思った。

誠実な人間風の演技、情熱的な人間風の演技、優しい人間風の演技、A氏はあらゆる演技を身に付けた「営業畑」の垢にまみれた人間だった。
彼のふるまいは目の前の人間を丸め込む為に磨き上げられた技術だ。

そしておそらく、自分が演じていることすら、もはや分からなくなっているだろう。自分がした未来への約束を、自分が果たさないだろうという事すらも、自覚がほとんどないだろう。
彼の真実の情熱や、誠意や、愛は、偽物の中に埋没して、本人にもわからないほど垢にまみれているだろう。

この人は、私を騙すつもりなく、そして自分自身さえも欺くつもりなく、常にすべてを欺いて生きている。

今は、彼を気の毒だと思う。

口を真一文字に結び、キッとした視線で一礼する、そんな真剣な表情で、私と交した約束を、彼は、やすやすと忘れるだろう。
怒りは消え、静かな悲しみを感じる。


未来に対して嘘をつかない事は 誠実さにつながっている。
そしてその積み重ねは その人の精神の高潔さを育てる。

気の毒なA氏に 平安があるように。
真実の自分を求める瞬間が 彼に訪れるように。

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子供をバスに乗せて学校に送り出した後、そのままコーヒーショップに居座って書き物をするという時間を持てることは、つくづく幸せだと思う。

思えば子供が小学校に上がる前、こんな時間はまったく作れなかった。
保育園で毎朝、涙のお別れをして3年泣きまくった、園始まって以来の泣き虫だったあの子が、今は元気にバスに乗り込み、ぎゅうぎゅう詰めの人混みを押し返すだけの強さを身に付けている。

あの子がこんなに元気に育ってくれたので私は今、こうしてキャラメルマキアートをすすりながら、自分に向かう静かな時間を与えられている。
子供の成長というものは、本当に親を助けてくれると思う。

赤ちゃんの頃、床に横にして寝かせると途端に泣き出し、一日中、抱き続けなければならなかった。産まれた時から4キロの大きな赤ちゃんだった。腕にはあっという間にもりもりと筋肉が付き、ポパイのように力こぶまで出るようになった。横に寝かせられない赤ん坊というものは本当に手を取られる。乱暴に扱う事のできない繊細なものを抱いているという緊張にもくたくたになるし、動きの一つ一つが何もかも不自由で、食事もままならず、気が狂いそうだと思ったことが何度あったか。
寝る時には決まっておっぱいで、添い寝なので寝返りをして押しつぶしてはいけないと緊張している。気を抜いてゆっくり眠ったことが何年もの間、一日も無かった。数年にわたる寝不足というのは、想像を絶するものだった。いらいらしやすいし、すぐに癇癪を起こしたくなる。子育てに縛りつけられるより、仕事に忙殺されている方が10倍楽だと、つくづく思う。

思い返すと、その中でも仕事をしていたのだから我ながら、よく頑張ったと思う。
ずいぶん夫には助けてもらったが、それでも、完全母乳育児を選択した事の影響も大きく、子育ての主体はやはり母親だった。

少しづつ、少しづつ、あらゆる事が楽になっていった。
子供の成長とともに。

一人座りが出来るようになった。
はいはいで遊ぶようになった。
つかまり立ちをしてなんでも手当たり次第つかんでは投げ散らかして遊ぶようになった。
自分で食べ物を口に運ぶようになった。
とことこ歩けるようになった。

少し余裕が出来た今、あの頃を思い出すともう一度あの頃のあの子に会いたいと思う。

10年後、どうなっているだろう。
あの子は17才になり、お年ごろだ。
きっと恋愛なんかして、親をはらはらさせるだろう。
進路に悩んで、反抗して、ぶつかったり、離れたり、またくっついてきて甘えたり、そんなこんなを繰り返すのだろう。
奇妙な服装やメイクに凝ったり、ゲテモノとしか言えないアイドルを好きになったりするんだろう。
不登校になったり、家出したりするのかも知れない。

けれどあの子がこれからどんな問題を起こしても、構わないと思う。
あの子にかかり切りになったこの7年で、彼女はおつりが来るほどの幸せを私に与えてくれた。

彼女はすでに自分で生き抜く力を持っている。
私は彼女を見守るだけでいい。

100万回のキスと抱擁を彼女の人生に送り続けよう。


昨日、縄跳びの後ろ飛びが2回できたと誇らしげに報告してくれた娘へ

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日常を離れ
出来るだけ自然の豊かな場所で
自分の為だけに時間を使う

という機会は 人生の中でもっとも豊かな時間の一つだと思う。

私の場合は今のところ、宿泊型のワークショップに参加するか、そのワークショップを主催するか、という事である。

いろんなワークショップに参加してきたが、そこで出会う参加者から感じるのは、「自分自身に対する誠実さ」「人生への真剣な態度」だ。
癒しというキーワードで多種多様なサービスが提供されている現代で、営業キーワードに流されて温泉や旅行に行く事と、自分の意志でワークショップに参加する事は、「自分の人生に対する真剣さ」という点で一線を画すると思う。

ワークショップは、人生の学びであり同時に遊びでもある。
新しい自分に出会ったり人と出会ったりする事は喜び以外の何者でもない。
学びとは可能性を発見することだと、フリッツ・パールズは言い残した。

さてワークショップを主催する側として私が追及しているのは、参加者がコミットして確保してくれた限られた時間の中で、いかに豊かな「何か」が出現するように場を創造するかという事に尽きる。
私が今開催しているのはわずか2泊3日のワークショップだ。10日などの長いものは長いなりの苦労があると思うが、2泊3日という極めてコンパクトな時間で「参加してよかった」と思える内容にする責任を負うのは、恐ろしいほどの真剣さを要求される。

まず一番に重要なのは参加者の輪を形成することをいかに達成するかだ。
すべての人が自分のペースでいていい、自分を優先していい、という条件の元、それでも完全に他者を無視するのではなく、自然な形で他者をいたわる事のできる「人間としての特性」を引き出す事がポイントだ。利己的と自己中心の違いを明確に指摘できるスキルが要求される。

そして、多くの人が、他者を思いやる時には自分の事を忘れてそっちのけにしてしまう。人の事を優先して自分自身をないがしろにする。その結果自己価値を下げ、あるいはへとへとに疲れてしまうという事を人生の中で繰り返している。

だから私のワークショップでは、自分を世界でもっとも価値のある存在として尊重することと「同時」に、他者へもいたわりや優しさを発揮する姿を目指している。

今回のワークショップで私を心から感動させたのは、参加者が互いをいたわり、本当になんの力も加えられない自然な状態で、自分の中から溢れてくる思いで人の事を考えて行動することが一度に実現した瞬間だった。
彼らは、その瞬間、間違いなく世界で一番美しい存在だった。

過去に傷つき、自分として生きることを許されず、または人のために生きて、傷だらけの彼らだった。そんな彼らが自分に誠実に向き合う時、まず自分自身を優先することを懸命に行う。それは彼らにとって不慣れな事なのだ。だからこそ懸命に、エネルギーを傾けて行わなければならない。そして、他者も自分と同じように「自身との対話」をしていると知っているからこそ、邪魔をしたくないのだ。どのくらいの距離で、どのくらいの関係を持ち得るかを計りかねて、他者に対して慎重になっていく。
静かな静かなグループだった。食事の後はお通夜のようだった。
だがそれを壊さず見守る事を選択した。彼らに外部から力を加えて仲良しグループを演じさせてはならないと判断した。エネルギーは静かに、しかし確実に蓄積されているように感じた。

決壊が起きた。
それは一人の「これ以上自分に向き合う事は怖い、もうやめてしまいたい」という心からの訴えに始まった。それを引き金に次々と参加者は極めて正直な気持ちを「場」に出すことを始めた。
この瞬間が、ホットスポットだった。

溶解していく。次々に、一人ひとりの中で壁が、鎧が、他者への怖れが、溶解していく。自分に向き合うことに怯え、助けを必要としている者への愛が出現した。救済が始まった。それはどこにも犠牲のない、きわめて純度の高い愛だった。

この場が完全な安全であることを、全員が確信した。
そして全員が自分自身の奥深くにより向き合い、出会い始めた。
自分が自分に対して何をしてきたか。そして今この瞬間にも何をしているか。
彼らはそれにより精密に出会い始めた。安全だからだ。
「責められる可能性」を最小に出来たからだった。

心理学的なアプローチは、様々開発されている。
どれも効果的だし有用だと思う。

しかし愛が先ず、すべての前提としてそこにある事。それが何よりも早い。最高の結果を出す。私はそう信じている。

自分に対する愛。他者への自然な愛。信頼すること。

愛ある処に すべてが実る。


彼らと過ごした3日間を、私は誇りに思う。
彼らは間違いなく素晴らしい人々だった。



「幾百の生を終え 今を生きるすべての命へ
 今生こそ 完全なる無防備に留まり
 与えられる愛のすべてを受け取ることが出来ますように」

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正直な人 というのは嘘をつかない人の事をさす。

私は、正直でありたいと思うし、嘘を付くことは怖いとさえ思う。
嘘は本来、自分の身を守るために作り出してしまうものなので、一度嘘をついてしまうとそれを撤回することは難しい。撤回することそのものが自らを危険に晒すことになるし、嘘をつく直前よりも嘘をついたことにより自分の立場は悪化している。そんな状況の中で危険に身を晒せるくらいなら最初から嘘など付かないのだから。身を守るために、一つの嘘から次の嘘へとつながって、身を守ろうとした事が自分をとことん追い込んでいく。だから嘘は怖い。

弱い自分を最初から晒す事こそが一番危険を最小にしていると、私は体にたたき込んで、嘘を避けている。

父は、子供の嘘を絶対に許さない人だった。
何か隠し事をすると正座させられ、何十分でも尋問された。
「何かお父さんに嘘をついていることがないか」と問われ
「お父さんは何でも知っているんだ。だけど自分の口から言いなさい」とプレッシャーをかけられると、良心の呵責に耐えられずなんでも自分からしゃべってしまった。

たわいのない事ばかりなのだが。
すぐ近所の公園に行くと言って、もっと遠くの大きな公園に行きました、とか。
宿題が済んでないのに済んだと言いました、とか。
遊びに行くと言って出かけたけど友達と一緒に男の子にチョコレートを渡してました、とか。

嘘というほどのものですらない。
けれどわが家には父の権限で下される最高の処罰「冷蔵庫の刑」というのがあり、何でも素直に白状しておかなければ父の逆鱗に触れる怖れがあった。
父の采配次第では業務用の冷蔵庫に入れられてしまうかもしれないという恐怖が常にあった。
「これは業務用だからこの冷蔵庫に一晩入っていると、人間は死ぬ」と父は言った。
つまり、死ぬ危険のある場所に入れられるのだ。実際に何度か入れられた。

子供に嘘はいけない事だと思わせる為に恐怖を利用した父のしつけは、成功したとも言えるかも知れない。しかし恐怖によって植え込まれた「禁止事項」は時に不必要なほど効き目をあらわす。

社会人になった後で、私は自分の思っていることを正直に言い過ぎて社会でうまくやっていけないという経験を繰り返した。言わなくていいことまで言ってしまうのだ。黙っておく、隠しておくということが出来ない。

これは正直というよりただの馬鹿なのだった。
父が私に施したしつけにより、私は馬鹿正直な人間にはなったが、それが社会で必ずしも役立つわけではなかった。むしろ、馬鹿正直さは不器用さであり、融通の利かなさとなって、私の人生を邪魔した面が大きい。
人に聞かれると何でも白状してしまう。自分の事をかくしておけない。なんでそこまで無防備に、赤の他人に晒してしまうのかと自分で情けなくなった事も数限りない。だが聞かれると答えてしまう。心理的な結界が崩壊していたのだ。外から入ってくるものに抵抗することがとことん苦手だった。

人間というものは自分を尺度にして人を見てしまう部分がある。

私は自分が嘘をつかないことに徹底しているものだから、人もそうなんだろうと思い込んでいた。そんな馬鹿な私をおもしろがって、からかう人は少なくなかった。「昨日総理が死んだらしいよ」といわれ「ええーーほんとに!?大変だよね」と私が真に受けるとゲラゲラと笑われた。この手のからかいはよくあって、私は本当に何度それをくらっても疑わない馬鹿っぷりを発揮しては、大いに相手を喜ばせてしまったものだ。

幼い頃から大人にからかわれ、成長してからは友人に、先輩に、上司にとからかわれた。それでも私の中に取り込まれている「人を信じない人間には価値はない」という指令によって、私は何度でもだまされてみせた。「幼稚園児のように信じる」と面白がられた。

今あらゆる情報に裏付けを取ろうとするのは もしかしたらこういうからかいをたくさん受けたせいかもしれない。

父こそが、私をからかう代表者の一人だった。
父の言う事を真に受けないでいると「可愛くない子供」とか「子供らしくない子供」などのらく印を押されそうだった。父の愛情を失うことは恐ろしかった。私は愚かで、純粋な子供を演じ続け、いつかそれが自分自身だと思うほどに上手に自分を偽るようになったのだった。

ゲシュタルトのワークで「話したくないことは話さない」という練習を積んで、はじめてそれが出来るようになったのだが、今でも得意とは言えない。
話したくないことまで話すと自分の中がぐちゃぐちゃに荒れてしまう、と分かっているのに答えないでいることは本当に苦しい。人の侵入を防げないので人と付き合うことが苦痛になる。
話したくないことを聞かれると「答えたくない」で済ませればいいものを妙な理屈を作り出したりして余計に話がややこしくなったりする。ますます人と話す事が苦痛だ。

今、私のもとにやってくるクライエントと過去の私は何も変わらなかった。

自分の出す情報を自ら吟味し、不必要な事は話さないという事が出来るようになって、初めて大人の仲間入りが出来たような気がする。
それは私が、父の前で徹底的に演じ続けた「純粋で騙されやすい娘」の像を脱皮した事を意味していたからだ。

娘は 最初の理想の異性像を父親に求める。
父親を理想の男性だと思って 父を深く愛する。
父に愛されるために、父の望む女性像に近づこうとする。
その女性像のモデルを母親に求め 母親似になっていく。

いずれにしろ私は最初から 私であることを許されてはいなかったのだ。

今、自分が何者であるかを獲得した事は、すべて自分の努力によるものだと胸を張れる。今、彼らは彼らの娘を脱皮した私の変貌ぶりに面食らっている事だろう。

父も母も 私がどういう人間であるかを知らず、わからないままに育てた。誰も彼も、そうなのかもしれないと思う。

しかし嘆くなかれ。
人は必ず自分を見つけ出せる。
迷いも悩みも、その先にある答えは常に「自分自身」だからだ。

自分自身であろうとする人を 私は愛する。
その人の探求の旅を応援し支え続ける。
そのことについて一点の曇りもない。

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今 イスラムでは ラマダーン(断食月)に入っている。
神への信仰を示すための儀式で このラマダーンの1ヶ月間は太陽の上っている間、飲み食いを一切しない。敬けんなイスラム教徒は日が昇ってから沈むまでの間、自分の唾液すら飲み込まないと言われる。日が沈めば食べたり飲んだり出来るので日ごろより食品がよく売れるそうだ。同じ人間として、日中の絶食の後には盛大に食べたいという気持ちには親しみを感じる。
しかし、1日5回の礼拝と、日中には飲み食いをしないという行動を通じて示す信仰の力は、いったいどれほどのものだろうか。信仰を持たない稀な民族、日本人には、このような強固な信仰は奇異にすら思えるかも知れない。

世界に今、イスラム教徒は13億人いると言う。
彼らのこの30日間の祈りの力は、地球にどんな力を与えているだろう。
もし祈りに力があるのなら 彼らの捧げるアッラーへの祈りは どんな形で地上に現れているのだろうか。

社会の中に宗教指導者が居ないという、イスラム教。
これはキリスト教と大きく異なる点である。
イスラム教では、すべての信仰者は自らの意志で神との約束を果たし、神の命令に忠実に従い、自らを律している。彼らは人(指導者)に命じられてではなく、自分の意志でアッラーとつながろうとし礼拝を行い、断食に耐える。
彼らにとってアッラーこそがすべてなのである。

アッラーとは どんなものなのだろうか。私の感じる超越意識と同じものを指しているのではないか。

ダライ・ラマ14世は、すべての人に異なる宗教・信仰は必要であると説いている。一つの宗教だけが正しいと争う必要はないと述べている。
この言葉も、宗教の役割が何らかの超越的存在を伝えるための器(姿)に過ぎない事を示しているように思えてくるのである。

私は、キリスト教の聖書を読むたびに、「人は愚かで率いられることを望んでいる」という前提の元に執筆されたという気がしていた。様々な戒律は、愚かで浅はかな人のために制定されているのではないかと。
キリスト教の中に現れる人間像は 罪深くかよわく愚かで未熟な、どうしようもないほどレベルの低い存在であった。そういう前提でことに当たれば、確かに底辺から救いあげていく事が出来るだろう。キリスト教は確かに、すべての人間の救済を意図して産まれたものだという事は感じられる。


信じるために証明を求める人間の心。
信じたいために疑い続ける人間の心。
それこそが、人間の精神がいかに閉ざされた状態としてセットされているかを証明している。

開かれた心になった時 私たちはあらゆるものを曇り無く見つめ
真偽を見抜き 神との交信さえも可能なのだろう。

キリスト教では 神との交信はすでに絶え、それは不可能な時代に入ったとされている。だから信徒は神の代弁者でありメッセンジャーである神職の言葉を聞かねばならない。それは牧師であり神父である。キリスト教の中では、神と信徒の個人的関係は、神から神職を通じて与えられるメッセージのみで、自由な直接的双方向ではないのだ。それが私にはとても不満だったのかも知れない。

ラマダーンを通じて少しだけイスラム教を学んだのだが、イスラム教の敬けんな信徒たちは アッラーとの個人的な交信をすでに可能にしている人々なのかも知れない。
だとしたら 礼を尽くして敬意を表するべき相手であり、手を取り合って 人類のために何ができるかを共に考える事のできる相手であろう。

そんな人たちが13億人。

地球はまだ すてたものではない。

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ひとりぼっちだと感じることは とても寂しい。

私たちは基本的に ひとりぼっちだと感じるように出来ている。
自分の考えを人には読めないし 人の気持ちも伝わらないように お互いに遮へいされている。それが基本の状態として、セットされている。
だから、私たちは誰ともつながっていない自分をふとしみじみと感じて、とても寂しくなる。

私は「それは 人との境界線がない状態のデメリットを防ぐためではないか」という仮説を立てている。
バス停で隣にたまたま座った人のココロも考えも読むことは出来ない。
でも逆に、映画「サトラレ」のように、相手の考えが常に垂れ流されていて自分に伝わってきたとしたら、私たちはどうなるのだろう。同じように自分の考えも気持ちもたれ流れていて、周りの人すべてに知られているとしたら。

それはとても不便なように思う。
今築かれている秩序はすべて失われ、あらたな文化、あらたな秩序が必要になるだろう。サトラレは悲しい恋愛ストーリーだが、自分の思考が人にいつも読まれてしまう不都合を考えさせてくれる作品だ。

便利な面もある。
意志の疎通が一瞬で済み、全員が等しく同じことを理解するだろう。
それはどこか、組織社会を営む昆虫の世界を思わせる。

思うに、自分と人の遮へいがまったく無くなったら、それは種としてもはや人類ではないのではないだろうか。

実際には、私たち人間の脳は 人とリンクする能力を備えている、というのは事実であるように思う。その方法は仕組みがまだ科学的に解明できないとしても、虫の知らせのような類いの、不思議な現象は昔から日本だけでなくいろんな国でも言われている。

私の頭の中でぐるぐる回っていて止まらない曲があって、それを目の前で妹が歌い出すとか、その逆などは子供時代は日常茶飯事だった。
ふと気になって電話するとその人が具合が悪くて自宅で助けを必要としている、などという事もあるし、友達と食べたいものが何故か完全に一緒だったという事もあるだろう。

ただし、自分以外の意識とリンクする瞬間は、普通の人は自分では選択できない。何故か、ふと、そういう不思議な体験をしてしまうのだ。

寂しくて寂しくてしかたないとき、それはあなた一人分の寂しさではないのかもしれない。あなたと同じ誰かの、遮へいされている悲しさをあなたは受信し、それと共鳴してさらに大きな寂しさを感じているのかもしれない。

それなら、すこしでもその誰かに安らぎを届けることも出来るかもしれない。

寂しいのはあなただけじゃないよ。
ここにもいるよ。ここにもいるよ。
大丈夫。 今 つながっているよ。
同じ寂しさを 一緒に感じているよ。



人は皆 寂しい

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輪廻転生は 仏教徒にとって一番基本になっている信条だが
私は 自分が転生した記憶を持てていない以上 転生を経験的に確信していない。
それでいて 今家族であるものは 前世のどこかで縁のあったものたちだという考え方や バリー博士に感じた 言いようの無い大きな懐かしさと安堵感が 転生前に知りあいだったからだ というような考えには 感覚はとても素直に納得する面がある。

そして、死んだ後が無であるという考えには 感覚としてどうしても納得が行かない。
私には肉体が死んだ後、肉体以外の自分自身は宇宙の無限意識に属するという感覚がある。生きている今も意識の根は宇宙に属していると感じるのだから 肉体が滅んだらその根を辿り元居た場所へ帰るというのは当然の感じがする。

宇宙の無限意識に属していて、肉体を持たない状態、もしかしたらそれを転生前の状態と言うのかも知れない、と考えている。

死んだ後がただの無なら それは楽だよね〜と思う。どうせ無になるんだったら苦しい時には死ぬのが一番だ。だが死んだら無だと思っていて死んだ後、なにかあったらどうするのだろう。無だ、無だ、と言っている人はそこの処をどう考えているのか聞いてみたい。無なら何も怖くは無いだろう。「無を感じる」ならばそれは途方もなく恐ろしい事だが、感じるという点ですでに無ではなく、魂とでも便宜的に呼ぶ意識(認識システム)が存在する事を内包しており、「死んだら無」に矛盾が生じている。
私の父も 死んだら無、と言う割には死ぬのは怖いそうだし、盆に彼岸に、念仏を唱えている。

私は何度も何度も 死んだら楽になるのなら今すぐに死にたい と思っていたが、死んで楽になる事はないと「感じて」いた。
死にたいのは 楽になりたい一心なのだから その主目的が叶わないのでは死ぬ意味そのものを失うではないか。それじゃあ、死ねないじゃないか。

自分で死んだら地獄に行くよ、だから一生懸命生きなきゃだめだよ、というのは まじめに生きるよう仕向けるための 社会にとって都合のよい概念だとも 長年思っていた。
確かにそれ(地獄や天国の存在)を説くことで 人の生き方にバイアスを掛けることが出来る。

だが、ただの概念ではないようだ、という事も最近、感じている。

宗教と切り離して考えても、人の魂の存在を証明するという科学的命題は残る。
それに続いて、魂があるのなら 死後 魂はどこへ行くのか という命題も生じる。

あらゆる国のあらゆる文化が、自死を拒んでいる。
自死を推進する文化では、生き死にが民族の存続に必要であるなどの 極めて差し迫った状況がその背景にある。そして死には必ずその報償が定義されている。たとえば日本の戦国時代は自死は当然であったが、転生、つまり来世が信じられていた。日本の武士道では死に方は生き方の一部として組み込まれている。尊厳を守って自死する事は生き様を完成させる事でもあった。
インカなどの古代文明では 神へのいけにえとして自らの心臓を捧げた勇者は 神にもっとも近いものへ転生すると信じられている。もっとも近い世界大戦中の日本でも戦地で死んだら靖国に行く、という報償が信じられていた。

死後に何かがあるとすれば 自分の生まれる前にも何かあると考えるのが自然である。前世や死後の無限の世界は存在するのか。

転生を証明するための何かメソッドが、おそらくチベットにはあると思われる。
現在のダライ・ラマ14世は貧しい農民の子として生まれ2才の時にダライ・ラマ13世の転生者であると認定され、法王庁へ上がった。わずか2才の子供をみて前法王の転生者であると認定するからにはそれなりのメソッドが確立されている事は間違いない。

ぜひとも機会を得て、それを知りたいと思っている。

ところで、私は幽霊にはまったく関心がない。
スピリチュアルな意味での霊的な感性は開いているが、霊界とか浮遊霊とか、地縛霊とか、先祖霊とか、その類いは一切感じないし、見えも聞こえもしない。

何か、今生に思いを残して死ぬという事はあるだろう。
それで転生がうまく行かなくて、不自然に霊がとどまってしまうという事はあるかもしれない。どんなシステムにも例外によるエラーはある。死んだら普通は現世を離れるのに、何かのエラーで現世に魂だけ留まってしまうという可能性は考えられる。

だが、残念ながら私は死んだ人に関心がない。今、生きているものが私の担当だ。
死んだ人に助けを求められても応じる気はないし、そんなものより生きている命を助けたい。だから見ないし、聞こえないのだろうと思う。

幽霊はいるのかも知れない。心霊スポットに行けば、うようよいるのかも知れない。それでも私はその霊たちの相手をするつもりがまったくないので、おそらく平気だ。

霊が自分に危害を及ぼしたらどうする、という事を多くの人は恐れている。霊にはかなわないというイメージが頭に擦り込まれているからだ。だが私は霊より現世では生きている私の方が圧倒的に強者だと思っている。霊のやつは、ぴしぱしと音をさせたり、せいぜい電子機器を壊したりする程度だというではないか。そんなものは蚊にさされる程度の話だ。恐れるに足らずである。

そう思っている限り、私は霊にたいして強者だ。だから霊障とかいう現象も決して起きない。私のご先祖様は、私に何か知らせたいなら足を痛くしたり肩を重くしたりする必要はない。ちゃんと話に来ていただこう。私の方は会話チャンネルを常に開ける用意がある。

くもやゴキブリが怖いというのと幽霊が怖いというのはとても似ている。
自分はそれに敵わないと、思い込んでいるのだ。
くももゴキブリも、人間が踏みつぶせる程度の非力な存在なのだ。
霊もせいぜい写真に写ったりするくらいの、それほどまでに非力なので、とても可哀想に思う事はある。手を合わせて冥福を祈る事はまったく厭わない。しかし霊の救済は担当外だ。

幽霊に告ぐ。
私はあなたがたの担当ではない。
だから助けが必要ならば ちゃんと修業を積んだ坊さんの処へ行きなさい。
私はあなた方の相手を一切しない。

私は生きているもので 手いっぱいだ。

私の霊的な感性は、もっぱら生きているものとの交信にのみ開かれている。
そういった感性は、自分でチャンネルを選ぶように出来ているのかもしれない。
だから幽霊を見ている人は 多分無自覚かもしれないが 幽霊を見たいのだろう。
幽霊はいない、とは言っていない。いてもいなくても、私はそれには無関心だ、というだけである。


蛇足だが もう一つ、興味深い事がある。
「どうやったら超能力が身に付くか」
それは 「そういう能力が当然誰にでもある」 と 信じきる事である。

私は 動物と意識を交信することが可能である と信じきった時(意識が変わった時)から いわゆる霊的な感性が開かれてしまった。

そして人の話を聞きながら その人の記憶を映像として眺めていたりその人が話す前に情報を得ていたり という奇妙すぎる事が起きるようになってしまった。
いつもではない。特別な訓練もしていないから その能力に磨きをかけているわけでもない。出来ればそれは封印しておくのが都合が良い。

そういう事が起こる度(やれやれ…困ったなあ…)と内心でため息をついている。

一般的多くの人に見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる人は 一般社会では精神病なのだから。私はそれをよく知っている。

やれやれ…こまったものだ。
こういう事を言う人は、友達が減ってしまうのだ。
だから 黙っておくのが得策だ…。
そして 私は「見える系」の友達を増やすつもりも毛頭ないのだ…。


私を精神病だと思う人もいるかも知れない。
だが そう見えるだろうか?
または 証明できないのをいいことに 人の心につけ入る詐欺師か?

疑われる事の煩わしさからは、出来るだけ免れたい。
疑いを晴らすことに割く余力は、私にはない。
助けを必要としている人が多すぎるのだから 私はそこに全力を注ぎたい。


上記の理由で 釈明や説明をしないこともあります。
私が説明責任を果たしていないなら ごめんなさい。世間様。

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信念をもつ人は とても強い。

もともと はかなく かよわく 繊細な 人の心を
強く 硬く 変容させるものの一つが「信念」である。

信念というものの影響力は もろ刃の剣である。

私の 苦しみに満ちた時代を支えたものは 
「自分を信じてくれた人を絶対に裏切ってはならない」という極めて強い信念だった。

私の言葉と私自身を見て、私の会社に10億円以上のお金をかけようという決断をしてくれた 業界でも敏腕で通るプロデューサーがいた。私はこの人の信頼を裏切ることを恐れ、そして、私を信じて一緒に夢をみようと集ってくれていた、幼いとさえ言えるほど若いスタッフたちを裏切ることを恐れ、すべての瞬間を仕事に捧げていたように思う。彼らの夢を叶えることが、私に出来る彼らを裏切らないという信念の具現方法だった。

力及ばず、プロジェクトがとん挫した時、私は生きていられない思いだった。彼らを、全世界を裏切ってしまったと感じたからだ。
当時相手方に与えた損害はおよそ7000万円。私の生命保険が満額おりれば弁済でき、さらにスタッフに分配出来る計算が成り立った。13階の自宅ベランダから飛び降りなかったのは ほんのかすかに残る想像力が働いたからに過ぎなかった。私の死後にその金を受け取る側の、残されたものに与える心理的ダメージの深刻さを想像した時、私は彼らへの愛ゆえに、自分を殺す選択を思いとどまる他なかったのだ。私は私なりに 彼らを心から愛していた。

あと一押し、あとほんの一言、だれかから責められていたら、私はおそらくあそこから落ちていたのではなかったか。経営に失敗して自殺する事業者の思いは 誰よりもわかるつもりがある。私の周りにいたスタッフは 誰も彼も、本当に私に優しかった。私を責めるものは居なかった。ただ自分が自分を責め続けていた。


信念というものは、苦しみに立ち向かう時 その人を強力に支え続ける鋼のようなものだ。しかし 肉体のもろさ精神の柔らかさに、信念は対応しない。それが信念というものの持つ属性だ。

信念に支えられていた肉体と精神が 力を失って重力に引かれるまま落ちていこうとする時 信念はその肉体にそってしなやかにたわんだりはしない。それゆえに 肉体と精神は信念に縛りつけられる物体となり 縛られて食い込んでいる部分から、深い傷を受けて腐り落ちていく。従であったはずの信念が主となり なんのために生存しているのかわからないただの物質となって 傷だらけで体液をまき散らしながら かろうじて生き永らえている存在。

そして信念のもつ麻薬のような効果が精神に影響を及ぼす。
鋼のような信念のために己のすべてが犠牲になっていることを まるで良いことのように感じるのだ。苦しみが大きいほど、大きな事を成しえているような錯覚に陥る。このような人は 信念ばかりが肥大化していて それを自己だと錯覚しているような処がある。自分の本体はもろく、繊細であるのに、信念の持つ強靱さこそが自分自身であると思っている。このような人は、挫折している事実を受け入れる余地を持たないので、とことん現実逃避を繰り返すか、一気に自殺まで追い込まれるかのどちらかになる。


一方で
引きこもりや 不登校 ニート と言われる人々と接する事の少なくない私が持つただの所感に過ぎないが
「信念」をもつ人が 非常に少ないという事実だ。

「信念ゆえに」苦しむ人と 「信念を持たざるがゆえに」苦しむ人は どちらが多いだろうかと ふと考えたりする。


信念がない事は 私たちを日常のささいな苦しみの泥沼に留まらせることになる。
大きな視野をもてず、日々の実際には些細な事に始終足を取られつまづき、ぐちぐちと腐った気分を持て余し 自己妨害を繰り返す。

自分の命を 何に使うのか。
それを得ている人は 泥沼から早く立ち上がる。
おそらくは 自分の寿命についても考える機会が多いだろうし 命とは何かという本質にもたびたび触れているだろう。

本質的に「開かれた」状態で 目覚めて生きるには 何らかの信念が必要であるという結論が、今の私の結論である。

無論、信念にもいろいろあるが。
金こそすべてという信念を持つと ライブドア事件が起きる。
金を得た上で、何を得ようとしたのか、という処へ思考が及び、その本質が目指すものを見すえていれば ライブドアという会社の行く末は違ったかも知れない。

私の場合もそうだ。
人を裏切ってはならないという信念のさらに先にあった「愛したい、愛されたい」という本質が見えていれば、私は会社を経営するという事以外の、別の生きる道を思いつけたかもしれなかった。
信念は、スローガンとして現れた瞬間に、その人の思考を停止させるという属性も持つ。ここが危険なのかもしれない。


本質を見極める目を 曇らせるな と告げる声が私の中にある。
本質は「信念」というスローガンを超えるものだ。

今の私が持つ いくつかの信念の一つは
「何があっても 自分として 生き続ける」というものだ。

おかげで 死ぬという逃げ道がなくなって 困る部分もなくはないのだが。
この退路を断たれたはらいせに「あー死ぬ死ぬ。それー死ぬ死ぬ。もう死ぬ死ぬ。」と口からでまかせを言ってみる事も時々ある。

しかし生き続ける信念は おそらく間違ってもいない。
思考停止せず この信念も追い続けてみよう。

鋼の信念を しなやかにたわむものとして鍛え上げ直せれば、と思っている。

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